人間の考え方なんて怪しいもので、多かれ少なかれ周囲に影響されてしまうものだ。
そこにさらに個人ごとの受け止め方の差が付加されるわけだから、なおさらややこしくなる。
だからこそ個人ごとの個性も出るというのは、もちろん事実だ。
ただ、確かにそういえば聞こえはいいのだけれど、そうやって身に着けた個性が世の中を渡っていくうえで有用なものかはまた別の話。
いいか悪いかは別にして、世渡りしやすい考え方というのはある程度の傾向があるのも確かなのだ。
だからこそ、ビジネス系にせよ何にせよ、考え方に関する本がこれだけ溢れているわけだ。
そんな中でも、今日は変わり種を紹介する。
『会社人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ』(マイコミ新書)だ。
本書はサラリーマン時代に、「現場を見てこい」との上司命令によりガチでマグロ船に放り込まれた著者の見聞録。
見聞録とは言ったけれど、タイトルからわかるようにビジネスにおけるハウツー的な内容を抽出したもので、純粋なドキュメントというよりは自己啓発書に近い内容だ。
ただ、本書が面白いのは、著者が薬剤研究一筋の、いかにもおとなしそうな、つまりいわゆる「海の男」な世界からは180度かけ離れた人物だということだ。
ある意味究極の内勤ともいうべき研究者と、漁業の中でもハードさでは群を抜くマグロ船である。ここまで落差のある取り合わせも、そうそうないだろう。
構成は著者と漁師の問答と、その場面場面での著者の所感がセットになった短めのセクションをひとつひとつ連ねていく形で最後まで統一。
そのそれぞれで、エリートの悩みが肉体派漁師たちの身もふたもない言葉で豪快極まりなく粉砕されていくという構成になっている。
要するに、「ひよわなエリートが荒くれ男たちの生きざまから(なかば強引に)気づきを得る」というよくある話なのだ。
その絵に描いたような構図を、ここまで最初から最後まで素直にやっている本も珍しい。
そうした内容だけに、特に捻りがあるわけでもない。ただ、その分破壊力は抜群。
小気味よいまでのぶった切りぶりを繰り返し繰り返し読んでいると、生粋のオフィスワーカーである著者の一見繊細ともとれる悩みが、滑稽にさえ見えてくる。
たとえ自分がそれに近い悩みを持っていたとしても、ここまでモロに粉砕されるのを繰り返し見せられると、段々その悩みそのものがバカ臭く思えてくるのだ。
では、その漁師たちが語る内容とはどのようなものか。
一言でいうなら「仕事での実感に根差した生きていく上での知恵」なのだけれど、特徴として、とにかく実直であることだ。
読み手を必要以上にアゲてくれるわけでもない、考えてみればごくごく当たり前の、地に足のついた話ばかり。
特に際立つのが、「人は決して万能ではない」という考え方だ。
こうしたノウハウ本というのはどうしても、カンフル剤的な派手な煽りが入りやすいから、読み手をやたら「君はすごいんだよ!」みたいに煽ってくることも多いのだけれど、この本にはそれがない。
その代わり、「我々は万能でない、なんでも思い通りにいくわけではない」ことを前提としたうえで、じゃあどうするか、というところを語ってくれる。
それでいながら、ありがちな根性論でもない。むしろ、「割り切りながらもなすべきことをなす」的な、ある種の合理性さえ感じられる。
だから、当然ながら無理はない。
何より、ある種悟りでも開いたかのような潔さのおかげでむしろ説得力は増しており、少々ひねてしまった身にもスッと入ってくる。
もちろん、長所だけではない。
特に自己啓発系をある程度でも読んでいる人だと、ここで紹介される考え方、それ自体には正直新味はないかもしれない。
なにしろ、この手の知識というのは、基本部分はさほど違いがない。
結果的にだけれど、どうしたって他の書籍とかぶってしまいやすい。
ただ、それだけに応用範囲は広いし、扱われる話題も努力というものの考え方やストレスケア、自分の才能の見出し方からコミュニケーションまで幅広い。
それに、なによりそれらが漁師の飾り気のない口調で語られるインパクトは、他の本にはそうそうない味わいだ。
読んでいくうちに、漁師たちのあきれ顔が目に浮かんでくるようだ。「お前ら、なんでまたそんなに複雑に物事考えてんだ?」とでもいうかのように。
ただ、それは決して、肉体的には劣るオフィスワーカーを卑下するようなものではなく、どこか温かい。
余計な言葉も、変にネジくれた話も一切なし。ストレートそのものだ。
だからこそ、刺さる。素直に身につまされるのだ。
この手の本の初心者はもちろんだけれど、自己啓発書の読みすぎでかえって思考の迷路にハマってしまった人にも、原点を見つめなおすという意味では非常に役立つだろう。