秘密基地の呪縛『恐るべき子供たち』

無秩序で社会性の欠片もない、子供たちの閉じた世界。
役に立たない秘密基地づくりのように、それは例え非生産的であろうと、快楽だ。

むしろ、あの心地よさは非生産的なんてことをそもそも知らなかったからこそしれない。
子供が生産性がどうたらと口走り始めたら、それはそれで問題だと思う。
そうした概念がないからこそ、子供時代の思い出というのは世知辛さとは無縁の、キレイな思い出でいられるのだと思う。

ジャン・コクトーの代表作『恐るべき子供たち』は、そうした記憶をどうにもくすぐってくれる中編小説だ。
ただ、既に社会に出てしまった身から見ると、ここには美しさはあってもうらやましさはない。
成長しない、ということが美しさとともに致命的な事態を引き起こす諸刃の剣だということを既に知ってしまった身としては。

本作品の話の筋そのものはいたって単純。
姉弟であるエリザベートとポールは、保護者の死去という不幸と、パトロンを得るという幸運とが重なったことによって、2人だけの暮らしを作り上げる。
部屋に隠棲し、今でいう引きこもりのような世界で過ごす二人は、時代がかった口論を日常のものとしながらも、一向にその暮らしを抜け出そうとしなかった。

もちろん、完全に二人だけというわけにもいかないし、彼らだって成長はする。
部屋に招き入れる友人も、数少ないながらもいたし、エリザベートも長じて働きに出るようにもなる。
けれど、根幹のところでは、二人の暮らしはまるで変わらなかった。
なんだかんだで、二人は本質的には無軌道な、社会性の薄い子供のままでしかなかったのだ。

けれど、そんな二人をよそに、周囲の状況は変わっていく。
そしてついにはポールとエリザベート、それぞれに片思いをする者もあらわれる。関わっている人間が0でない以上、それはやむを得なかった。
ただ、その世間的に見ればごく自然な事態こそが、二人を破滅に追いやっていく。

という感じで、二人の姉弟のののしり合いながらも離れられない、共依存のような関係が破綻するまでが、時系列に沿ってまとめられた作品だ。
作品全体を通して耽美的な雰囲気が極めて強く、現在の漫画をはじめとするサブカルチャーに対しても、いまだに強い影響をもっている。

最初に書いておくけれど、この作品、翻訳ということは差っ引いても、文章がハッキリ言って読みづらい。
著者のコクトー自身が詩人としての色が強い作家のため、本作も小説という形をとりながら、詩的な表現が多用されている。
で、確かに文章そのものは美しいし、リズム感も感じられる。
フランスというお国柄もあってかどこか軽妙さがあるし、だからこその洒落た気だるさとでもいうべきものが出ている。

ただ、当時の風景などを知らない、予備知識のない身からすると、いくら洒脱な表現がなされていようと具体的なビジュアルとして浮かんできづらい。
どうしてもアタマの中の漠然としたイメージのみに頼って読むことになる。
その上で小説としてみると…理屈性の薄い、抽象性の高さが、翻訳特有のまどろっこしさと相まって状況がかなり理解しづらい。
筋そのものは単純といえば単純なので、かろうじて流れを追うことはできるのだけれど、深く読むのはハッキリ言って辛い。

筆者は途中で割り切って、よく理解できない部分はただただひたすら流して読んだ。
それでも、何とか読むことはできる。
文章自体は、詩人ということもあって独特な熱量があり、気が付けばその勢いで最後まで読み切ってしまえる。

ただ、余裕があるなら、冒頭の何ページかだけでも読んでみて、少しでも自分の感覚に合う翻訳版を探してから読むことをお勧めしたい。
リズムのいい文章だけに、ハナから合わないバージョンで苦痛を感じながら読むのは勿体ない。
幸い、本書は翻訳は何度もされており、比較的近年にも新訳が出ている。

この物語で展開される姉と弟の二人の空間は、まさに秘密基地そのものだ。
余人の入ってこれない世界の中で、二人はまるで籠城するかのように引きこもる。
全編を通して薄暗い雰囲気の中描かれる二人の、仲がいいとは言い難い空間には、甘酸っぱさは皆無だ。
忌憚なくいってしまうと、筆者的にはむしろ付き合いたくない奴らという感じしかしない。
けれど、それでいて子供から成長しない二人の姿は、不思議とすがすがしい。
そこに同調すると、どこかインモラルで、狂気さえ感じさせる彼らの空間は、どこか自分の幼い頃とオーバーラップして、うらやましささえ感じてくる。

ただ、こうした空間が続くためには、いかなる形であっても無理があってはいけない。
その一方で、無常がこの世の常である以上、いつかはその帳尻は必ず合わなくなっていく。
それに、早いうちに気づければまだいい。
取り返しのつかなくなったところでようやく手遅れだということに気づいたのが、彼らの悲劇だ。
実際に、本作の結末は、ドライではあるものの、いかにも悲劇的なテイストをはらみながら締められている。

もっとも、この結末は本人たちには悲劇というべきものなのか。
仲間こそ失ったものの、最後まで「相棒」である姉弟で、ともに退廃したままの日々を全うした彼らは、なんだかんだで満ち足りて死んだんじゃなかろうか。
客観的には虚無的で無残な結末は、けれど何故かまどろむような安らかさに満ち溢れている。

成長の否定、社会性の否定…本書が映し出す姉と弟の独特の生活様態は、耽美性などは脇に置いたとしても、世間に完全に背を向けるものに他ならない。
それをその末路に至るまで美しく描いたという点において、本書はある意味ではあからさまな反社会的作品以上にタブーな一作なのかもしれない。

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