純正サラリーマンモノ『いいひと』のひそやかなフェティシズム

感覚的にはどうやったって受け付けないのに、ある1点がツボにはまって読み続けてしまう漫画というのがある。
学生時代のわたしにとって、そういう作品のひとつが「いいひと。」(高橋しん/ビックコミックスピリッツ)でした。
90年代のスピリッツ掲載作品の中でも相当の人気作だし、周囲だけを見回してもファンは結構いたのだけれど、わたしはどうやってもストーリーがダメだった。
実際、ファンの多さの一方でアンチも多い作品だったように思います。

それでも不快感をこらえながら読み続けたのはなぜかというと、女性キャラが異様にそそったんですよ、この作品。

ストーリーは、スポーツメーカーを舞台に、新入社員が北野ゆうじがトラブル解決に邁進するというもの。
基本的には主人公の無茶な主張が紆余曲折ありながらもなんだかんだで通って存在感を発揮していく…という、ヒーロー路線のサラリーマンものでは王道ともいえるパターンです。

が、この作品が他のビジネス系の作品と違うのは、設定や噴出するトラブル自体は基本的にリアル路線でありながら、主人公の主張だけがファンタジーの域に達していること。それにつきます。

別項でも書いたように、ビジネスものの漫画は、構造上リアル路線にすればするほど、キャラクターの吐く正論と実体のダブルスタンダードっぷりが避けられません。
そして、一定数の社会人の読者にとってそうした描写はどうやったって生々しく、不快感を伴うものです。

だからもともと好き嫌いがスッパリ分かれやすいジャンルではあるのですが、ではこの「いいひと」はどうかというと、その点では別格でした。
とはいっても、他の作品とは少し感覚が違い、主人公の主張と行動にあまりにも現実感がなかったのです。

タイトルの通り、主人公の北野ゆうじは徹底した、それこそあり得ないレベルの善人なのですが、それをいちいち会社の中でもそれを貫き通す。
これだけ聞いたら勧善懲悪を会社ものに持ち込んだ作品なのかな、とも思います。実際、北野の行動原理は、それ単体を見ればいちいち正しい。
それに、基本ほんわかした癒し系キャラなので、キャラクターとしての自体にはあまり押しつけがましさもありません。

…が、そういう行動が実際の社会で通じるかというと、そうはいかないのは現実を見ればわかる通り。
企業うんぬんは別にしても、度を越えた正論というのは「んなこと言われたってさあ…」と感情的には反発を覚えやすいものです。

まして、北野の主張は一般的なビジネスものの域を超え、まるで教科書のようなレベルなのです。
それも、会社云々というよりは生き方とかに直結するような概念レベルのものなので、さらにタチが悪い。
教科書というより、どっちかというと自己啓発書に近い匂いさえ感じます。

自己啓発書というのは、主張が受け入れられる一定の人間にだけターゲットを絞って書かれていることが多いですから、それに該当しない人種にとってはただの苦痛でしかなかったりします。
本作の不快感は、まさにそれ。ビジネスものというよりもそっちに近いので、ツボにはまれば元気も出てくるでしょうが、逆に合わない読者にとってはとことん合いません。
確かに主人公の主張通りになった世の中というのは素晴らしいだろうなとは思いますが、そんだけ。

それを割とリアル路線な舞台設定でやられるんだから、なおさらです。
ましてや、「現実にうまくいっていない」状況で読んだら、血管が浮き出てくること必至でしょう。
特に作中のリストラの話なんかは…ハッキリ言いますが、実際にその状況に直面してる相手にこんなこと言ったら、命が危ないです。いや、マジで。

そんな北野の言動がなぜか受け入れられていく様は、当時社会経験のなかったわたしでさえ「こりゃないわ」と思ったレベルでした。
あまりに現実離れしているために生々しさが薄れているので比較的フィクションと割り切りやすいのですが、それにしたって不快感のレベルだけで言えば、MAXに近いです。

…とまあ、さんざんに書きましたが、これはあくまでもストーリーや主人公の話。
ストーリー運びを離れて、純粋に脇役のキャラクターだけを見るなら、なかなか味のあるキャラクターは多いですし、何より最初にも書いた通り、女性キャラが出色。
キャラ設定そのものもそうなんですが、描写が妙に艶っぽいです。

高橋しんさんの描画は全体的にはすっきりした絵柄ながら線は荒々しい、独特の画風。
その絵柄をベースに、時たま萌え画風のデフォルメキャラを織り交ぜてくる手法をとっています。
いずれにせよ、絵だけでみるなら色っぽさにはあまり縁がないはずなんですが、この作家さん、どちらかというと描写自体が肝。
ズバリ言えば、全編を通して女性キャラの描写がいちいちフェチっぽいんですよ。

下着シーンの妙な細かさの時点で「ん?」と思いますが、ちょっとした拍子のスカートのめくれ具合だったり、あからさまなあざとい構図だったり。
それに、絵柄そのものは生活感皆無なんですが、日常の素の描写がうまいので、キャラに妙に生活感があるのがいい。

それらが合わさって、「描かれていない部分」を想像させてくれるのはすごい。
青年誌としては珍しいほどに、露骨な直接的なシーンは皆無な割には、妙にむずむずする気分にさせてくれるんです。
キャラクターは先輩OL、後輩OL、就職活動中の学生etcetc…と幅広く網羅されていますが、個人的には主人公が居候する家の子持ちの未亡人・真理子のなまめかしさは、ベースが優等生キャラだけにかえってエグいです。
ちなみに、比較的最近の同氏の作品では「花とおくたん」なども描写がフェチっぽいですが、あちらはちょっとあざとすぎるかと思える部分も多く、これぐらいがちょうどいいと思われます。

正直、個人的な心情からすると素直にお勧めとは言い難いのですが、女性陣の色っぽさだけでも一見の価値ありです。
繰り返しますが向き不向きがはっきり出る作品なので、真に受けすぎないよう心を落ち着けてからどうぞ。

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