桜玉吉という人は思った以上に画風が広く、かわいい絵からリアルな絵、果ては前衛芸術ばりにぶっ飛んだ絵まで様々な絵柄を使いこなしています。
そんな広い画風の中で、意外と使っていないのがお色気系です。
女性の作画技術自体は非常に高く、また、かわいい系キャラでは「べるの」などの実績も多い彼ですが、真正面からお色気を掲げたことはほとんどありませんでした。
これは、ギャグや日記が主体の作品が多かった影響もあるでしょう。
そんな彼が珍しくお色気を打ち出した、稀有な作品があります。
日記系の代表作である『漫玉日記』の3部目にあたる、『御緩漫玉日記』です。
まず日記漫画としての側面から見ていくと、氏の『漫玉日記』シリーズの中でも特に思索性やシュール性が増した作品です。
現在と過去の追想を行き来する構成になっているのですが、思考の混乱ぶりをそのまま絵に描き起こしたかのような、言ってみれば幻想文学を思わせる内容になっています。
荒々しい肉筆のタッチで描かれた作品世界は、下手すると読者の思考までもっていかれそうになりそうな吸引力。
絵としての力は強烈で、見ているだけで気分がざわざわするような不穏さに満ちています。
そういう内容だけに、氏の内面がにじみ出たようなディープさがすさまじく、ある意味では日記系漫画というジャンルの究極系と言ってもいいものになっています。
そんな本作ですが、それまでのシリーズとは明らかに毛色の異なるキャラクターがひとり、出演しています。
玉吉氏の職場に紹介でやってきたアシスタントの女の子、「牛田さん」です。
この牛田さんは作中の過去編で登場するキャラクターで、ネット上の推測ではありますが、この部分に関してはフィクションだろうとする意見が多勢を占めています。
『御緩漫玉日記』には日記系であるとともに、お色気系のテイストを取り入れようという意図があったそうで、彼女の登場するパートはその部分を一身に担っています。
で、その試みの結果ですが、大成功すぎます。
とはいっても、むろん直接的なそういう描写があるわけではありません。
確かにガチ巨乳眼鏡というあざとい要素はあるものの、基本、彼女は玉吉氏の職場にやってきて、漫画を描いて帰っていくだけの相手です。
だいたい、年齢的にもキャリア的にも立場が違い過ぎますから、玉吉氏の目線も、いわば保護者のそれに近い。
ですが、この保護者目線こそが、本作のじっとりとしたお色気のベースなのです。
いうまでもなく、保護者と保護される存在という関係性において、お色気とはタブー中のタブーです。
ですが、実際のところ牛田さんは専門学校に通う、れっきとした大人。彼氏もしっかりいます。
そんな彼女ですから、保護者がどういう心境であるかに関わらず、勝手にセクシャルさをまき散らすことは避けられません。
そして、そんな彼女と時間を共有する以上、保護者たる立場のものが困惑せざるを得ないことも自明です。
本作のお色気の肝は、そうした困惑っぷりがしっかり画面に描き起こされていること。
そもそも本作に限らず、男性がなぜお色気を感じるかというと、その源泉は結局内面の動揺によるものです。
逆を言えば、その動揺がいかに起こり、どう感じたかの描き方次第で、お色気の迫真性は変わってきます。
もちろん、それっぽい描写があるならその方が手っ取り早いのは事実ですが、そういう描写だけでは決してガチに色っぽいという感覚を読者に与えることは難しいです。
本作が凄いのは、それをパーフェクトと言っていいレベルで成し遂げていることです。
コマ一つ一つから、動揺が手に取るように伝わってきて、まるで読者本人がその場にいるのではないかと思わせんばかりの迫真性が再現されています。
しかも、描き方自体は普段と変わらない日記形式ということもあって、かえって淫靡。
ヘンに凝った舞台よりも、変わらぬ日常でのちょっとした瞬間の方がよっぽどインパクトがあるというのをそのまま体現しています。
実際、筆者は今でも、お色気キャラといえば、まずこの牛田さんが脳裏をよぎってしまうほどですから。
残念ながら『御緩漫玉日記』が中断してしまったこともあり、牛田さんの物語もすべては描かれないままです。
ですが、本作を初めて読んだ時のショックはいまだに忘れられないんですよね。
それまで散々お色気ものは見てきましたが、こういうアプローチもあるのか!という…。
あからさまなお色気に飽きた諸氏は、ぜひ手に取っていただきたい。
淡々としているからこその、誌面からにじみ出るような迫真性を感じられることと思います。