ikill~ターゲットの狭さが際立つドス黒パルプフィクション

渡辺浩弐氏という作家は芸風の幅も広いけれど、そこには通底するものがある。
既存概念も先進的な概念も含めて、どこか俯瞰的に見下ろす、冷静な視点だ。批評家的と言ってもいいそれは、かつて下ネタをネタに下品極まりないキャラづくりでコラムを書いていた頃から変わらない。

そうした視点と知識とを活かした典型的な作品が代表作として知られるスリラー・ショートショート『ゲーム・キッズ』だけれど、それとは別に、よりえげつなさを突き詰めた作品がある。
講談社BOXから発行された『ikill』(イキル)がそれだ。

クライムノベル屈指のエグさ~渡辺浩弐『ikill』

のちに洋泉社からの発行に移行して第二作まで発行されたこの作品は、殺し屋・小田切明を主人公とした連作シリーズ。
小さなサブカルショップが軒を連ねるビルの一角(作中で描かれるビルの構造などを見る限り、モデルは恐らく中野ブロードウェイ)で、秘かに「商売」を行う彼の冷徹な仕事ぶりを描いたものだ。
もともとは雑誌『メフィスト』に連載されたもので、殺し屋としての彼を狂言回しとして、ネットや日常の悪意をえぐるのがコンセプトになっている。

もっとも、こうした人間の薄暗い部分を描くという事であれば、氏の作品であれば『ゲーム・キッズ』シリーズで既にやるだけやりつくされた感がある。
さらに言えば、あくまでも未知の技術がもたらす事態をありうる可能性のひとつとして描いた『ゲーム・キッズ』シリーズと異なり、本作はハッキリと現代が舞台。
それに、扱われているテーマは、こう言っては悪いのだけれど、既に現実で嫌というほど議論されているものばかりだ。
もちろんいずれも解決策の提示されない厄介な問題ばかりなのだけれど、物語としての新鮮味は薄い。

その代わり、表面に出ているのは、既にいつ起こってもおかしくないという前提に根差した、より直接的かつ愚直な批判精神。
そしてそれ以上に、クライムノベルという括りで見ても珍しいほどの、極端かつ直接的なエグさ、グロテスクさだ。

文明批判の方は、正直あからさますぎるほど作中でハッキリ読み取れるので、ここではあえて言及しない。
それよりも目につくのは、とにかくこの小説、直接的な問題表現が極めて多いのだ。
主人公の職業柄ということもあるけれど、酸鼻を極めるといっても言い過ぎではない。
スプラッター映画のような派手さこそないけれど、思わず口を抑えたくなるレベルの描写が、全編にわたって延々と続く。

殺し屋がさほど浮いてない…『ikill』世界の恐るべき気色悪さ

それに加えて、批判的な作風と対象的に、主人公である彼自身の倫理観は極めて独特。
考えてみれば当たり前だけれど、殺し屋という職にある以上、一般的な倫理観なんて持っているわけもない。
彼らは、そもそも法の外にいる存在なのだから。
そんな彼なりの視線を通して描かれる本作の作品世界は、どうしようもなく愚かで、救いようがなく、よどんでいる。

そんな世界で、淡々と日々の「業務」として仕事をこなしていく主人公が、決して浮いた存在ではないのがさらに恐ろしい。
もっとも、ストーリー自体にいわゆるホラー的な恐怖感はない。
ただ、描写そのものもそうだけれど、全体として提示される世界像まで含めて、まるで湿った布地か何かがまとわりついているかのような気色悪さなのだ。
東京のどこかで、今日もこんなふうに淡々と人知れず処理されている存在があるのかもしれない。
そう思わせるだけの、単にフィクションとして切り捨てられないほどのえぐさが本作の醍醐味と言えるだろう。

ターゲット選びすぎの作風に耐えられる?

もっとも、作風以前に恐ろしく読者を切り捨てるタイプの作品ではある。
文章だというのに臭い経つような描写は、グロ系が苦手なら、その時点でアウトだ。
一方でひたすらシニカルかつ非倫理的な世界観は、単にサスペンスというよりも、ノワールなどを好むタイプでないとキツイだろう。
つまり、本作を純粋に楽しめるのは、ノワール好きかつグロも平気という、おっそろしく狭いターゲティングなのだ。
過半数の読書好きは、この時点で脱落だろう。

ただ、ゲーム・キッズシリーズのブラックさや批評性が好きだったなら、怖いもの見たさでもいいので読んでみる価値はある。
文章の端々から濃厚に漂ってくるシニカルな語りは当時から変わっていないので、おそらく久しく求めていたものに近い感覚を味わえるはずだ。

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