面白さに関わらず、どうしても感覚的に抵抗のある作家さんというのが誰でも一人はいるのではないでしょうか。
別につまらないわけではない。それどころか、客観的に見れば面白さは十分にわかる。
それにも関わらず、なぜかいちいち抵抗感を感じてしまう作家。
わたしにとって、その典型と言える作家さんのひとりが、大御所も大御所、永井豪先生です。
正直、なんでここまで抵抗を感じるのかは自分でもわからないので、もう感覚の問題としか言いようがないです。
あえて分析するなら、彼特有の極太ラインによる描画であったりとか、コメディにせよシリアスにせよ容赦のない過激描写とか、そういう部分なのかなとも思うんですが、これも正直怪しい。
なにしろ、わたしは過激な本それ自体は、むしろ好きなんですよね。本当に何かしらの感覚が、永井先生の描く作品とうまくチューニングできないというか、そういう感じとしか言いようがない。
ただ、敢えてわたし自身の好みは置いておくと、それだけ強烈な世界観を持っている作品群なのは認めざるを得ません。
過激さの先に見えた永井豪独自の哲学世界
永井豪といえば、一つには少年向けでタブーに挑戦しまくり、フロンティアを開拓しまくったヒトという印象が強いです。
有名どころではあばしり一家とかハレンチ学園とかですが、バイオレンスにせよお色気にせよ、あの時代にここまでやったんかい!というほど過激。
昔の作品ですから絵柄こそ古めかしいですが、内容については完全にメーター振り切っています。
そういう意味では、たとえは悪いかもしれませんが、90年代に流行ったジャンクカルチャー本に近い姿勢を感じさせます。
ハッキリ言えば素人目に見ても失敗作も多い先生ですが、そういう勢い重視の割り切ったスタイルこそが魅力なのも事実。巨匠と言われる漫画家は多いですが、この点は他の作家さんでは出せなかったでしょう。
ただ、永井先生の場合、そうしたノリと過激さ重視のスタイルではあるものの、その過激さを突き詰めていった先に哲学的な問いにまで行きついてしまった作品もあります。
その代表格が漫画版「デビルマン」でしょう。
もともとタイアップ前提でスタートしたこの作品は、それにもかかわらずテレビアニメ版とは完全に別物になっています。
絶大な影響力を持つ、祈りのバッドエンド
人類を悪魔から守るために、自らも悪魔の身体になった主人公・不動明の活躍を描く…と、本作を説明するならそういうことになります。
ただ、それは最初だけ。本編は徐々に軌道を変え、むしろ悪魔の悪行よりも、それ以上に醜い人間のえげつなさを露わにしていきます。
見方によっては今以上に厳しかったであろう当時の表現規制の中、今だったら展開自体NGになりかねない描写の連発。
その先に待っているのは、漫画至上でも類をみない、黙示録的世界観の中のバッドエンドです。
そこで提示されるのは、「善悪を明確に定義することなど、だれにもできない」という容赦ない、けれど祈りのような真摯な哲学。
その影響力は相当なもので、現在でも神話的なモチーフを持った作品では、メディアを問わずだいたいそこかしこに本作の影響が見て取れます。
露骨に出ている作品としては、テレビゲームの「女神転生」シリーズなど(現行作品では抑え気味にはなっていますが…)が挙げられます。
いずれにせよ、トキワ荘一派とも、貸本由来のホラー系統とも違うスタイルで作り上げられた、現在に続く漫画という文化のひとつの原点なのは間違いありません。
ストーリー以上に感覚的な好き嫌いが激しい作品ではありますが、漫画好きなら一度は目を通す価値が十二分以上にある作品です。