鏡開きの由来と苦労

鏡開きというと、最近ではあまりしない(というかそもそも餅を飾らない)お宅も多いと聞きます。そもそも意識することもないという方も少なくないかもしれません。

かく言う私も、今年の頭にたまたま実家に電話してみたところ、親が今まさに鏡開きの準備をしており、そういう行事もあったなぁ、と懐かしくなったものです。
一人暮らしだとなかなかやらないですからね。

神様のパワーをいただく…鏡開きの由来と意味合い

そんな鏡開きですが、その起源は古く、江戸時代には一般化していたとされる(鏡餅自体は平安時代の作品である『源氏物語』にも記述が残る)由緒正しい行事です。おおむね1月11日に行われる地域がほとんどを占めますが、地域によって多少ズレがあり、関西では15日、京都や一部地域では4日に実施されます(地域によって細かい誤差があるので、ご注意下さい)。

内容は広く知られているとおり鏡餅をお雑煮などにして食べる行事ですが、意味合いとしては七草粥と同じく無病息災を願って行われるものです。

この行事の根っこになっているのが、「神に供えた食物には力が宿る」という考え方。これを前提にして、正月の間に神様にお供えしていた間にお餅に宿った力を分けてもらう、といった行事なのです。

鏡開きは何故「開く」なのか

さて、この鏡開きという名前ですが、何故「開く」なのかと思われたことのある方も多いのではないでしょうか。

鏡開きでは、鏡餅を調理できるサイズにするために、細かくする作業が必要になります。
普通ならこういう作業は「割る」と表現するはずですが、この言葉が縁起が悪いために、敢えて「開く」と言い換えているわけです。

また、鏡開きでは、包丁などは使わずに叩いて割っていきますが、こちらは包丁などを使うと切腹を思い起こさせてこれまた縁起が悪い、という理由です。鏡開きはもともとは武家のみで行われていたといいますから、その頃の名残と言えるでしょう。

色んな意味で苦労した、鏡開きの思い出

ところで、個人的な思い出ですが、鏡開きには昔とても苦労した覚えがあります。
先のとおり、鏡開きでは餅を叩いて細かくするわけですが、私の実家は割とこういう風習を重く見る家庭だったため、それこそ家じゅうに鏡餅を飾っていました。それほど広い家という訳でもないのですが、そこかしこに飾っていればかなりの箇所数になります。

ということは、鏡開きの時に細かくする餅の量も相当なんです。
その上、私は生来の不器用で、なかなかうまく割れなかったり、自分の手を叩いてしまったりで痛いわ進まないわで嫌になって泣き出したという(恥)
情けない思い出があります。

もっともそれ以上に問題だったのは、到底食べきれる量ではないという歴然とした事実で、
その後数日間はひたすら雑煮ばかりを食べ続けるのが我が家の定番でした。今考えると、あのドタバタはあれはあれで楽しかったな、とも思います(雑煮責めはともかくとして・・・)。

最も、今の時代ならお餅といってもいろんなレシピが公開されていますから、あんなに飽きるほど同じようなメニューを食べ続ける必要もなかったんでしょうが。

 

手間に関して言えば、叩いて割るのがうまくいかないようなら、水に一旦柔らかくなるまで浸してから手で直接ちぎるという方法もあります。
せっかくの鏡開き、やるなら面倒くさいだけで終わらせず、楽しい行事にしましょうね!

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