9月になるとたびたび目にする季節行事のひとつが「重陽の節句」です。「菊の節句」とも言われるだけに、確かに今でもフラワーショップや和菓子屋などではこの時期の定番ではあります。
が、実際のところ、現代では重陽の節句という行事自体、存在感がかなり薄くなっているのも事実。本記事では重陽の節句の由来や衰微の理由を解説するとともに、そんな現状の中でも「菊の節句」を味わう手をご紹介していきます。
「菊の節句」「後の雛」…重陽の節句の由来と衰微の理由
重陽の節句は、名前の語感からもなんとなく想像がつくように中国発祥の伝統行事で、日本には平安時代の初期に伝わってきたとされています。
七夕なども含めた「五節句」のひとつであるとともに、1月から12月までの1年を通じて最後にやってくる節句でもあります。無病息災や長寿を願う意味合いがあり、現在の中国や台湾では敬老の日とほぼ同一視される傾向にあります。
なお、3月の上巳の節句(ひな祭り)と同様にお雛様を出す習慣が残っており、これを「後の雛」と言います。もっとも、子供向けの印象の強い3月3日と違い、9月9日は長寿を願うなどの性質上、お雛様とは言っても大人向けの行事とみなされています。
重陽の節句のシンボルはなぜ菊なのか
「菊の節句」との別名通り、重陽の節句においては菊が象徴的なシンボルです。
では、なぜ菊なのか。この理由は非常にシンプルで、まず菊が時期的にこの時期盛りを迎える花だったこと。そして、さらに大きいのが、古来から中国では菊が長寿に効くとされてきたためです。
何しろ、当時の菊の別名といえば「齢草(よわいくさ)」「千代見草(ちよみくさ)」といった、いかにも長寿を連想させるものばかり。さらには、菊の花から露がしたたりおちた川の水を飲んだら長寿になったという、「菊水伝説」までが存在します。
いかにその効能が信じられていたかが伺えようというもの。長寿や無病息災を願う行事のシンボルにするには、これ以上うってつけなものもそうそう存在しないでしょう。
日本に伝わった際も、菊の霊験あらたかな効果もいっしょくたに流入したとみられ、当時珍重される花であったにも関わらず食用・鑑賞用両面から親しまれていったのです。
重陽の節句の時期と、暦の上での大問題
ところが、明治時代になって、問題になったのが時期でした。
重陽の節句は旧暦9月9日。現在の暦では10月半ばごろから末頃に当たります。当時の中国では奇数は「陽数」として縁起が良いとされており、その中でも最大値である9が重なる9月9日は非常におめでたい日だったのです。だからこそ節句に指定されたわけですし、「重陽」の名も「陽が重なる」という意味ですから、逆に言えば9月9日という日付が非常に意味をもつわけです。
こうしたこともあってか、日本で旧暦が新暦に変更された際、節句は他のものも含めて公的な行事としては一旦廃止になり、日付だけがそのまま新暦の同じ数字の日に残ることになりました。つまり、この時点で旧暦でのスケジュールと時期の差が生じたのです。ただ日取りが少し前に動いただけともいえるのですが、重陽の節句の場合、このズレの影響が大きすぎた。
何しろ、新暦での9月9日と言えば、まだ残暑が残るような時期で、菊の盛りにはまだほど遠かったのです。根本的な季節感にズレが生じたわけで、これでは風情も何もあったものではありません。
こうしたちぐはぐさが影響して、重陽の節句は大きくその影響力を下げていったとされています。
細かいことにこだわらずに楽しむ、家庭での重陽の節句
とはいえ、時期がちぐはぐだからと言って重陽の節句を楽しめないわけではありません。
昔はさておき、現在では菊は年間を通じての栽培も可能になっていますし、そもそも重陽の節句の習慣を見てみると、菊が絡んでいないものもあります。
自分なりに必要な要素だけをつまみ食いするつもりでのぞめば、いくらでもやりようはあるといえるでしょう。ここでは、家庭内での楽しみ方をご紹介します。
家族みんなで食べられる重陽の節句の行事食
ここでは、年齢を問わず楽しめるものに絞って挙げていきます。
重陽の節句の行事食としては、まず一番に挙げられるのが時期的に栗ご飯。そして、秋茄子を使った茄子料理です。茄子料理については、特に細かい決まりがあるわけでもなく、含め煮にしたり、焼き茄子にしたりと好みに応じて用意すればOKです。
行事食として特に知られるのは上記の2つで、菊が用意できなくても問題ないことはお分かりいただけるでしょう。ただ、それでもこだわるなら菊を使った料理も取り入れるのもおすすめ。
よく挙げられるのは食用菊を使ったおひたしや、花びらを散らしたお吸い物、葛椀などです。食用菊は安いとまでは言えませんが、それでも数百円程度なので、雰囲気を出すために奮発してみるのも決して悪い選択ではないでしょう。
この他、お菓子についても、この時期には菊をかたどった練り切りやきんとんなどがよく和菓子店に出ます。色にしろ表面の柄にしろ非常にデザイン的に凝ったものが多く、この辺りは和菓子というジャンルの面目躍如と言えるでしょう。見た目にも華やかですし、むしろ雰囲気を味わうという意味では一番手っ取り早いかもしれません。
自宅で菊に浸りきる!伝統的な菊湯・菊枕の楽しみ
色々言ってもやはり「菊」の存在感を楽しみたいという方には、菊湯や菊枕があります。いずれも、重陽の節句では古くから伝えられてきた伝統的な習慣です。
現在では菊は人工照明を使うことによって開花時期を操作できるようになったため、ほぼ年間を通じて生産可能な花になっています。自然のままでの旬の時期こそ変わらないものの、ある程度のコントロールは効くようになったのです。そのため、新暦の9月9日でも、準備をすることは可能です。
菊湯については、一般的にはリュウノウギクを茎ごと刻んだものを使うというやり方がよく言われます。ただし、手に入らない場合は、食用の菊の花などで代用しても大丈夫です。むしろ暦のズレを考えると、こちらの方が現実的でしょう。
次に菊枕ですが、作り方としては、集めた花びらを天日で十分に乾燥させ、枕袋に入れるだけとシンプル。実際に使用する際は、下に普通の枕を置き、その上にかぶせる形で使用します。もっとも、ほぼ間違いなく手作りになる上、袋を満たすだけの花びらを大量に用意する必要があるためハードルが極めて高いのは事実。ですが、菊の香りに包まれての眠りを体験してみたいなら、やってみる価値はあるでしょう。
手数をかけたくないならフラワーショップの利用を
上で触れたように、手に入らないことはないとはいえ、伝統的な菊湯や菊枕は少々ハードルが高いのも事実です。それでも菊にこだわるなら、いっそフラワーショップを利用するのが手っ取り早いです。少々お値段は張りますが、フラワーショップは重陽の節句の衰微など関係なく、様々な商品を扱っています。ただ、最近では日付の近い敬老の日のギフトも兼ねての販売も多いですが…
伝統を重んじるなら一輪菊、かわいらしさ重視なら陽菊を利用した丸っこいアレンジフラワーなど、好みに応じたチョイスが可能です。また、手入れなどを考える余裕がないなら、ブリザーブドフラワーという選択肢もありかもしれません。生の花とはまた違うとはいえ、アレンジも効いていますし、雰囲気だけならこれでも十分かと思います。
復活組も!重陽の節句関係のイベント
あまり目立たない存在になってしまったとはいえ、重陽の節句にちなんだイベントは現在もそれなりに行われています。伝統を継承・復活させたような行事も多いので、軽い気持ちで訪れてみれば思わぬ驚きを得られるかもしれません。
伝統の「菊の着せ綿」を再現!大宮八幡宮「菊被綿」
重陽の節句の伝統的な習わしのひとつが、「菊の着せ綿」です。
これは、節句前日の夜から菊の花を真綿で多い、屋外で菊の香りや露をたっぷりとしみ込ませます。そして、節句当日にその綿で顔や体をぬぐうと、不老長寿にてきめん…という言い伝えです。
この習わしを再現しているのが、東京都杉並区にある大宮八幡宮の「菊被綿」です。年にもよりますが、概ね9/9からしばらくの間公開されています。
色とりどりの菊の花が綿にくるまれている様子は単純に可愛らしく、花好きには一見の価値ある行事になっています。
京都で楽しむ、重陽祭・重陽の節会・重陽神事
京都は寺社が多いだけに、重陽の節句がらみの神事が少なくありません。
いくつか挙げると、まず車折神社の重陽祭。20世紀末に百数十年ぶりに復活して以来続けられている神事で、健康などを願って舞楽が奉納されます。次に、虚空蔵法輪寺の重陽の節会。長寿祈願を願う法要や舞などの奉納から成ります。最後に上賀茂神社で行われる重陽神事。こちらはまず本殿で無病息災を祈願する神事が行われ、その後で鳥相撲が実施されます(2020年は鳥相撲は中止)。
いずれも訪れてみれば、神事特有の厳かさや優美さが味わえるでしょう。
重陽の節句限定の御朱印も
さらに、イベントとは少し趣が異なりますが、最近大流行の御朱印についても、重陽の節句限定のものを頒布している神社もあります。
例を挙げると、東京の浅草神社や栃木県の下野星宮神社。関西の場合は、大阪の阿部野神社や京都の乃木神社などが頒布しています。神社によっては独特の趣向を凝らしたものもあり、御朱印コレクターにはたまらないでしょう。
ただ、これらの神社に限ったことではないですが、頒布日は必ず事前に確認しておいてください。また、枚数限定の場合、あっさり頒布が終了してしまうこともあります。
無病息災の願いをかみしめて「菊の節句」を楽しみつくそう
ここまで再三述べてきたように、重陽の節句は今となっては決してメジャーとは言い難い行事になってしまっています。イベントの項で触れたように、そもそも100年近く行われていなかった神事もあるくらいですから、衰微具合は相当なものと言わざるを得ません。
とはいえ、そんな中でも無病息災や長寿は、人間である限り共通の願いです。重陽の節句が今でも細々とではあっても、命脈を保ち続けている理由は、まさにそこにあるのでしょう。
菊の華やかさと併せて、自身や周囲の方々のこの先の末永い幸福に思いを馳せてみるのも、味わい深いのではないでしょうか。