ライトノベルというカテゴリは世間的に認知されてからまだそれほど長い歴史をもつわけではないけれど、その中でも出世頭の筆頭のひとりと言えるのが西尾維新氏だろう。
どちらかというとレーベル的にはノベルズ系が多いものの、ご本人の軽快な作風はまさにライトノベルのそれだ。
結果的にミステリ系にならなかった西尾維新『戯言シリーズ』
そんな西尾氏だけれど、デビュー当時は「ミステリの人」だった。
実際、彼の代表作である『戯言シリーズ』は、1作目の段階ではまだ推理ものとしての色合いが濃厚。
異能設定やイラストレーションこそラノベ的ではあったけれど、ミステリとしての認知度の方が高かったように思う。
とはいえこのシリーズ、元々主人公や登場人物のぶっ飛んだ価値観や個性に重点が置かれていたのが初期からの特徴だし、トリックものとしての色はもともと薄かった。
そのせいもあったのか、後期…というか早くも3作目あたりからバトルアクションとしての色の方が強くなっていく。
そういう意味では、ミステリ作品としては決して長寿でもないし、本格派の作品とも言えない。
ただ、その一方で、キャラクターの個性と世界観に立脚した、特異なミステリーを提示したというのも事実だ。
それが特に際立つのが、シリーズ2作目…つまり、ミステリ要素の強い作品としては最後の作品となった、『クビシメロマンチスト』である。
西尾維新『クビシメロマンチスト』あらすじと概要
大学のクラスメート、巫女子に唐突に話しかけられたことをきっかけに、珍しく友人づきあいをすることになった主人公・いーちゃん。
メンツは巫女子も入れて4人。元々度を越して厭世的な主人公も、ウザがりながらもこんなのもたまには悪くない、とふと思ってしまう。
けれど、そんな付き合いもつかのま、仲間うちの1人の女の子が自室で殺されたことから、歯車が次々に狂いだしていく…
という流れで、本作のストーリーは萌えや学園ものの要素が顕著に盛り込まれてはいるものの、ごくごく一般的な探偵小説のそれ。
そして、人間とは思えないキャラばかりが出てくるこのシリーズにおいて、主人公のごく一般的な日常生活の側面が中心となっているのも特徴だ(というか、シリーズ中唯一と言ってもいい)。
一応副題にあるように、殺し屋という非現実的な名物キャラの初登場作でもあるけれど、彼に関しても本作では狂言回し的な役回りに近い。
あくまでも、本作は主人公・いーちゃんが殺人事件の謎を解く、というごくごく現実的な世界を舞台にしたミステリ作品なのだ。
とはいえ、正直なところ、本作は1作目と比較しても、謎解きものとしての作りは極端に甘い。
トリッキーさに期待して読んでしまうと、下手したら怒りさえ覚えるかもしれないほどだ。
ただ、本作の「ミステリー」は、実は謎解きではなく、別のところにある。
合理的思考を突き詰めた先にある、異常な行為
それは何かというと、登場する犯人の思考回路、そのものだ。
もともと常識が通じないキャラが多く、死への抵抗も薄いキャラばかりが目立つ本シリーズだけれど、本作の犯人の思考はそれとは違った意味で異常なのだ。
なまじ、日常性が普段よりも高い世界に立脚しているだけに、なおさら。
よくある探偵小説のように、ラスト数ページで明かされる犯人の独白に、読者はあっけにとられるだろう。
ただ、それはトリックの見事さとかではない。何をどうしたらそんな考えに至るのか、という呆れに近い。
いや、別に犯人の思考は、非合理的なわけではない。
むしろ、合理的すぎるほど合理的なのだ。
けれど、合理性を突き詰めた先に行き着く思考の結論が、人間的な範疇に収まるとは限らない。
殺人という犯罪行為は確かに脅威だ。
けれど、それ以上に、そこに至るアタマの働きの方がよほど恐ろしい。
『クビシメロマンチスト』が描く、バイオレンスよりも何よりも恐ろしいモノ
本シリーズは世の中の倫理から解き放たれたような価値観に支配された世界設定だけに、唐突なバイオレンスが頻発する。
特に後期のアクション色が強くなるにつれてそうした面は顕著になっていくし、もともとそうしたけれんみが売りのシリーズではあるのだ。
それに比べると、まだミステリとしての枠だけは保っていた本作は、どちらかというとかなり地味な部類だ。
ただ、それだけに、シリーズ特有のインモラル性をそのままミステリに適用するとどんな無残な話になるか、というのを目の当たりに見せてくれる。
一見論理的かつ正気、けれど根本的なところでネジの外れた狂いっぷりが日常の中で暴走する様子は、ゾクリとするような寒気に満ちている。
人外キャラの見ようによっては無邪気ともいえる暴力とは違う、一見マトモなキャラクターが見せる真性の悪意。それを垣間見せてくれる作品だ。