悪そうなやつが善行をすると普通以上にいい奴っぽく見えるというのはよく言われることですが、逆に、見た目いい奴っぽい人間が悪行を働くと、実際以上に悪く見える。
実際にはそこまで単純ではない面はあるにせよ、これは真理です。
これは漫画やゲームと言ったフィクションの世界でも同様で、悪役が悪行を働いても「やっぱりね」で終わりです。それがどんなに非道な行為であったとしても、予想の範疇だからです。
ところが、これを善玉がやるとなると、話は全く変わってきます。完全に予想を裏切る形になりますから、事前のキャライメージとの落差分きっちりショックを食らうことになります。
ここで言及する『銀河戦国群雄伝ライ』は、一般的には決してショッキングと言われる類の作品ではありません。けれど、以上で述べた「善玉が裏の顔を見せると、どれくらいインパクトがあるか」をじわじわと思い知らせてくれる作品になっています。
戦国大河をスペースSFに換骨奪胎『銀河戦国群雄伝ライ』概要
『銀河戦国群雄伝ライ』という作品を単純に説明すると、「戦国ものをスペースSFに換骨脱退した上で少年誌ライクなアレンジを加えた作品」ということになります。宇宙を舞台に、複数の国々が相争う中、主人公の一兵卒である「竜我雷」が徐々に頭角を現し、指導者へと駆け上っていく過程を描いたものです。
和風と中華とスペースSF…90年代アニメ的ごった煮世界観
まず、ストーリーについて触れる前に、作品の大まかな特徴について触れておきましょう。
本作は、先に触れたように宇宙戦争ものなのですが、いわゆるガンダムなどとはまったくテイストが違い、むしろ大河ドラマのような戦国ものとしてのテイストが際立って強いです。むしろ、「宇宙」「SF」というのは派手な演出をするうえで必要だったに過ぎない、といってもいい切ってもいいほど。読んでいる間は、SFというニュアンスを感じることはほとんどないでしょう。
戦国ものと言いましたが、日本の戦国もの的な要素以上に有名な「三国志」的な、特定の英雄同士が相争う群雄割拠ものからの影響が強い。
実際に、舞台設定も登場人物の名前も和風と中華風をごった煮にしたような世界観です。登場する国の名前が「五丈」「錬」「智」etcですし、登場する街並みにしても昔の中国のイメージそのもの。人物名も主人公の雷や宿敵となる羅候をはじめ、漢字名で統一。果てはライバルの女性武将の名前が「政宗」ですから。
ある意味では節操のないともいえる世界観ですし、90年代初頭のアニメカルチャー的な空気が縦横に取り込まれています。
バトルアクション張りの「少年誌」的キャラクター設定
先に少年誌ライクと書きましたが、本作でそれが世界観以上にハッキリと出ているのがキャラクターの基本設定です。とにかく、外連味溢れる、かつ分かりやすい、少年誌的な派手なキャラクターがずらり。
メインを張る雷や羅候は性格的にいかにも主人公級の直情型。脇を固めるキャラクターも、風流と色事を好む遊び人ながら戦略にかけては冷徹なまでの才を現すクール系の大覚屋師真、清楚を地で行くようなお嬢様キャラながら芯の強さを見せるヒロイン役の紫紋をはじめ、悪く言えば少年誌のテンプレとさえいえるわかりやすいキャラ造形がなされています。
もちろん、悪役は悪役でこの例に漏れません。
つまり、キャラの基本設定だけをみるなら、それこそ一般的なバトルアクションと大差ありません。
戦国ものという一見重々しいジャンルとは不似合いなように見えるほどで、この点でも節操のなさは世界観と同様と言えます。
物語そのものは徹底した骨太の戦国武将もの
ただ、本作の場合、世界観やキャラ設定こそ節操がないものの、その上でストーリー自体は徹底的に三国志的な戦国武将の物語を貫き通しています。
陰謀術数が飛び交い、弱肉強食が貫かれる作品世界はシビアで、物語も定型を崩さない代わりに骨太。逆に、世界観やキャラ設定についてはあくまで設定であり、それ以上のあざとさはありません。
そのため、見た目の雰囲気はライトだけれど、物語自体はどっぷりという、なかなか珍しいバランスになっています。
聞くと見るとでは大違い…シビア極まりない「ライ」の世界
さて、作品の基本説明は以上なのですが、ここまで読んでどう思われたでしょうか。
未読の方は「陰謀術数で弱肉強食でシビアか、それはさぞかし本格的なんだろうなあ」といった漠然とした印象なのではないかと思います。
その本格的という印象は確かにその通りです。ただ「陰謀術数」「弱肉強食」「シビア」などの単語だけを聞くのと、どういう行為がなされるかを具体的に描写されるのとでは全く印象が変わってきます。
少年マンガにあるまじき主人公の負の暴力性
たとえばですが、物語の最序盤、まだ気性の荒い一兵卒に過ぎなかった雷が、捕らえた捕虜の一言に激怒して全員を虐殺するというシーンがあります。
もちろん、少年誌的な意味合いでは、このように押さえの効かない、未熟な男に過ぎなかった雷の姿を描くことで、のちの成長ぶりをより効果的に見せるということになるのですが、いくら未熟さの描写とは言っても、普通は少年誌でここまで主人公の負の側面を見せつけることはありません。
ですが、本作においてはこれは一例にすぎません。全編にわたり、主人公側・敵対側問わず、大量殺戮に代表される、モラルも何もあったものじゃないシーンには事欠かないのです。
もっとも、「戦争」なんてどんなにきれいごとをいったところで実際はそんなものでしょうから、確かにリアルかつシビアで「本格的」とは言えます。ですが、「シビア」などのキーワードだけを事前に聞いていたのと、実際の具体的な描写を読んだ後では、かなり印象が違うはずです。
まして、それをやるのが、前述のとおりいかにも少年誌の主人公らしいキャラクターたちとなると…
かなり衝撃度は大きいです。悪役がやるならまだしも。
「所詮は大義名分」の図式を逃げ道なく描く
さらに、本作の場合、骨子を抜き出せば戦争ものだけに、そもそも主人公たちも自分たちのことを正義だとは思っていません。それを本人たちが分かったうえで、敢えて大義名分を掲げる。
「あいつらがいる限り平和はこない。だから犠牲を払ってでも奴らを滅ぼすべきなんだ」
彼らが掲げるのは要するにこういうことなのですが、結局のところ自分の陣営を正当化しているにすぎません。
本作が際立っているのは、なまじ味方も敵も双方を少年誌らしい共感の持てるキャラクターにしているだけに、余計に「自分らだけに都合のいい理屈をこねくり回している」という事実がはっきり目に見える形で浮き上がってくることです。
どちらかがハッキリと悪役なら正当化もできようものを、敢えてそれをしていない。複雑なキャラクターなら「まあ、状況が状況だしそういうこともあるわなあ」という感情面での逃げ道があろうものを、それも作っていない。
「自分に都合の悪い者たちの排除」という、戦争というものの本質を真正面から見せつけてくれるとも言えます。
「少年マンガ的主人公」を求める読者を完膚なきまでに突き放す終盤
本作において、それ以上に心に響くのは、単に戦国ゆえのわかりやすい暴力性だけにとどまらないことです。
陰謀がメインのえげつない後半戦
作品の後半がストーリーの山を作るためにエスカレートしていくのはほとんどの作品に共通するところですが、本作ではその盛り上げの特徴が独特。暴力性などのわかりやすい方向ではなく、徐々に「陰謀術数」の方がメインになっていくのです。それも、かなりえげつない方向で。
恩ある国の王を自害に追い込む。
理想主義者を思想的に戦争続行の上で障害になるとして誅殺するなどなど…
こうした方向性にどんどん天秤が傾いていきます。もっとも、話の本筋自体は盛り上がるには盛り上がるのですが、基調がこんな調子なことからも何となく見当がつく通り、どちらかというと悲壮感の方が強いです。
「完成された指導者」は「理想の指導者」ではありえない
しかも、話がこうした方向に進めば進むほど、雷にせよ敵である羅候にせよ、指導者としては完成されていきます。
冷徹な判断を容赦なく下す彼らですが、あくまでもどちらかが滅びることでしか平和を実現できない、という前提のもとで考えれば、二人とも決して冷静さを失っているわけではありません。
話の流れからすれば、本作終盤の展開は、確かに理想主義者の入る余地がない取り返しのつかない状態。その点では、彼らの清廉潔白とは程遠い姿も、指導者としては現実的と言わざるを得ない。
つまり、本作が描き出しているのは「清廉潔白な指導者など存在しない」という厳然たる現実なのです。
それでいながら、描写自体はまさに指導者にふさわしい威厳を備えた描き方となっており、まさに英雄譚。細かいセリフなどの演出も、まさにヒーローとアンチヒーローのラストバトルと言った感じで、事ここに及びながら少年マンガとしての体裁だけは保っています。
それだけに、イメージと実体のギャップがここにきて極まるのですが。正直、何でこんなになっちゃったかね、と言いたくなるほどに。
現実でも、我々庶民は、どこか指導者というものに理想を投影してしまいがちです。まるで、漫画の中のヒーローでも求めるかのように。
けれど、そんな理想を前提としたら、そもそも指導者という立場自体が存在しえない。そんな二律背反を、本作の主役と敵役は露骨なまでの形で示してくれると言えるでしょう。
二律背反する内容をまとめ上げた筆力は絶品
以上を踏まえた上で本作をまとめると、激しい宇宙戦争の背後で、いかにも少年マンガらしい粗野で直情的で、けれど共感しやすかった主人公たちが、陰影のある、裏のある、明確に害意をもった指導者へと「成長」していく物語、ということになります。
一種のビルディングスロマンではあるのですが、そこには思い切り、「成長」ということの裏の意味が毒々しく込められています。好青年はいつまでも好青年でいられるわけではなく、また、かつて好青年だったからこそ、その冷厳さは余計にえげつなく際立つのです。
また、本作はそんな主人公たちの行動を現実的なものとして描きつつも、その価値観さえも相対化するような描写も目立ちます。
最終局面にしても、国家間の現実は既におさまりが付かない状態であることを明示しながら、個々人レベルでは交流が続いていたりして「可能性は限りなく0だけれどあり得たかもしれない未来」を暗示しているのが、さらにタチが悪い。
読者としては、なんとも収まりの悪い気持ちにさせられること必至です。
そんな、座りの悪い、通常は避けるようなテーマを、あくまで少年マンガのフォーマットに乗っ取って描き切ったことに、本作の価値があります。
ある意味でオタク的とさえ言えるはっちゃけすぎの世界観と、まさに教科書通りの正統派キャラ、重苦しいストーリーラインといった相反する要素を敢えて絡ませたからこそ生まれた、独特の後ろ暗さこそが本作の持ち味です。
そんな、一歩間違えれば空中分解しかねない内容をまとめ上げた筆力は、純粋に感服するしかありません。終始歴史ドキュメンタリーのような淡々としたノリで描き出される一連の物語を読み終えた時、満足とやりきれなさ、両方の意味で、深いため息をつくことになるでしょう。