物語のオチの付け方のひとつに、ありえない真相で締めるという方法があります。
「え…そうくるの…」という読者があっけに取られてしまうような「実は…」を明かすことで、度肝を抜く方法。
オチに作品評価の全てを依存するだけに、感想も真っ二つに割れがちな手法ではありますが、うまく決まればこれほど効果的な方法もありません。
ただ、性質上長編向きではなく、ハッキリと短編向きの手法でしょうけどね。
藤子・Fさんは、意外性には定評があり、こうしたオチにかけては名手のひとりですが、時々「それにしてもこれは…」レベルのオチを繰り出してくることがあります。
内容との落差があるとなおさら。
その代表格が、短編「絶滅の島」でしょう。
最初の発表時には無声映画のように一切のセリフのない「サイレント版」だったのですが、のちにセリフありのバージョンが発表されています。
今回取り上げるのは、このセリフありのバージョンです。
藤子Fには珍しい、直接的バイオレンス
ジャンルはサバイバルもの。
突然襲来した宇宙人に人類が狩りつくされていく…という内容で、わずかな生き残りとなった少年と少女の姿が描かれます。
この作品、一見してわかる特徴が、その徹底したバイオレンスぶり。
流血描写はもとより、首は飛ぶわ狩った人間を燻すわ、辛酸を極めた描写は容赦がまったくありません。
作中のほとんどがそうした描写で締められているという、F先生にしては珍しい作品です。
モチーフそのものは残酷でも直接描写は避ける傾向がありますから。
子供向け作品を中心にF先生に親しんできた方は、度肝を抜かれること間違いないでしょう。むしろ、絵柄そのものは殆ど変わらないだけに、余計に気持ち悪くなるかもしれません。
意図が隠された中で語られる、オチへの伏線
そのストーリー構成上の肝となるのが、途中まで宇宙人のセリフが一切読解不能な文字で描かれていること(考えてみたら言語体系が違うだろうし、わかんない方が当然なんですが…)。
そのため、「なぜ彼らが人間を狩るのか」という意図がまったくわからないことです。
そして、もう一つの肝となるのが、人間のおごりに対する、「天敵」としての宇宙人の捉え方。
F先生は環境問題に問題意識が強く、ドラえもんなどで実直な問題提起をしている話がいくつかありますが、本作の場合、環境問題のそれとは明らかに別です。
どちらかというと、栄華を極めるあまりに自分よりも強いものが出てくるとは思ってもいなかった人間を嘲笑う、皮肉さの方がハッキリと出ています。
もっとも、この視点が提示されるのは、作品において中盤の数少ない会話シーン一回こっきり。
たまたま出会った同じく生き残りの男に大して、主人公は人間を虫けらのように殺す宇宙人たちを悪魔と罵ります。
そんな主人公に対し、男は「その意見には虫けらの方から苦情がでるだろうね」と返すのです。
宇宙人にとってみれば、人間が虫けらにしか過ぎないんじゃないのか、とも。
そして、この真面目な会話シーンが、実は大きな伏線になっているのが本作のタチのわるい所なのです。
終盤、唐突に出現した新たな宇宙人たちが、それまで我がもの顔で人間狩りをしていた連中を一斉に捕えます。
そして、死をまつばかりだった少年少女は解放されるのですが…
すべてをひっくり返すオチは、人間の行いの裏返し
実は、本作の最後のコマは、実はオチでもなんでもありません。
そのコマの下のスペースに付録か何かのようにつけられた「宇宙人語翻訳」こそ、本作のオチです。
言葉通り、それまで作中で解読できなかった宇宙人たちのセリフをすべて日本語で示したものなのですが、
それまで宇宙人側の意図が一切伏せられていたこと、人類以上の強者である宇宙人たちという2つの要素が、ここで見事に絡み合います。
翻訳内容は敢えて触れませんが…感情移入して読んでいればいるほど、「…ふざけんな」という言葉しか出てこないでしょう。
あんまりにもありえなさすぎて。
このために殺しまくってたんかい!とツッコミを入れざるを得ないでしょう。
それまでのほとんどの内容が凄惨なバイオレンス描写だけに、なおさら。
けれど、よくよく考えてみたら、それは作中のセリフにもあるように、人間がやってきたことの写し鏡でもあるのです。
最後に、少年少女が救われたことまで含めて。
その点で、二重、三重に皮肉の効いた、強烈に黒い結末です。
メッセージ性の面で少し直截的すぎる感もなくはないですが、人類絶滅系の作品としては、非常に理論的なシミュレーション作品になっていると思います。