破局の予感はどの程度当たるのか?

わたしの友人知人には、やたらに破局話が多い。
もちろん多いと言っても限度はあるけれど、それでも世間一般的の水準から言えばはるかに上だと思う。

これは今に始まったことじゃない。
わたしの友人は恋愛も早熟なタイプが多かったし、結婚も早かった。
それも理由のひとつかもしれない。
カーッと燃え上がりはするのだけど、それだけに破局を押しとどめるだけの関係性を作るまえに冷めてしまうのかもしれない。
それは当人同士にしかわからないことだけれど。

 

さて、そんな別離を迎えた友人たちを見ていると、嫌でも気づかされるのが破局の原因だ。
浮気によって破局を迎えるカップル・夫婦が思った以上に多い。というか、過半数がそれ。
今現在相手がちゃんといる人にとっては、これ以上の恐怖というのはそうそうざらには存在しないんじゃないかと思う。

愛情の終わりなんて円満なものじゃないのはわかるけれど、浮気の場合はご存知の通り、それは凄惨なものだ。
あとで事の顛末を聞いてみると(相手も吐き出したいのか、だいたい自分から話してくる)、なんというか、傍観するしかない立場のわたしとしてはコメントのしようがない展開ばかり。

ただ、色々話を聞いていると、他人であるわたしでも気づくことが一つだけある。
それは、浮気の発覚のきっかけがおおむね「カン」に過ぎないことだ。

よくドラマなんかだと、直接現場を目撃するとか、部屋の中に見覚えのない物証が残っているとかがきっかけってパターンが多いけれど、わたしが耳にした限り、実際にはそういうケースはあまり多くない。
ただ、なんとなく「なんか怪しいな」という予感がするらしいのだ。
もちろん、特にはっきりした理由だとか、物証は何もない。
ただ、それでも何か感じるものがあるのだと言う。

知人の一人に至っては、ある夜、突然ピンと来るものがあって、なかば衝動的に家を飛び出したらほどなくまさにその現場に行き合わせてしまったという。
自宅のほど近くの、いわゆる、その手の宿泊施設の駐車場に、見覚えのある車が止まっていたというわけだ。
彼女の場合、結婚後の家庭環境はあまり芳しいものではなかったらしいのだけれど、浮気を匂わせるような要素だけはそれまで何もなかったそうだ。
だから当然、その夜も、根拠なんて何もなかったという。
むしろ、本人は今でも「なんであたしあの時気づいたのかなあ」と不思議な顔をする。
ここまでくると、ほとんど神通力のようだ。

 

ただ、問題は、他の知人も程度の差こそあれ、最初のきっかけは似たようなものだということだ。

しかも、浮気された彼女・彼たちはさほどカンがいいわけじゃない。
こういうと本人には悪いのだけど、むしろニブいタイプだってかなりいる。
それでも、浮気にだけは何故か敏感に反応したという。

もちろん、その理由を明確に説明することなんてできない。
けれど、判を押したようにみんながみんな同じようなことを言うのを聞いていると、むしろ生物としての本能に近いのかもしれない。
自分の子孫を残すというのを生きものの一つの大目的とするなら、恋愛や結婚関係の破局なんて、いいことは何もない。
だからこそ、普段とはくらべものにならないほど敏感にカンが働くんじゃないかと、わたしはそう思っている。
実際のところ、今の世の中ではそのカンは、むしろ破局を確定づけるという役割しか残念ながら果たさないのだけれど…

 

いずれにせよ、少なくともわたしの周辺を見る限り、浮気の疑念というのは「当たり」の確率がそれなり以上に高いと言わざるを得ない。
根拠も何もないわけだから、当然絶対ではないけれど。

だからあとは、そのカンが残念ながら働いてしまったときに、どういう対応をするかなんだろう。
敢えて気づかないふりをしてとりあえず日常を今まで通りに維持するのも一つの手だ。
生活のこととかを考えるなら、むしろその方がいいんだろう。

ただ、それが自分の心にどうしようもなく重荷になるなら話は別で、実際に確証を得る方向に進むひとが多い印象はある。
わたし自身が独身だからあまり偉そうなことはいえないけれど、結局、破局した愛情というのは、それまでがどうであれ、うっとおしいものでしかありえないという事なんだと思う。

以前、浮気というのはバレない、バレさせない才能のある一部の人間しかしてはダメだという話を聞いたことがある。
けれど、友人たちの顛末を聞く限り、そんな才能がある人間なんて、限られた一部だよなあ、と思ってしまうのだ。

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