かねてから廃線がささやかれていた北海道の留萌本線。その立場がいよいよ危うくなってきました。
非公式の情報ではJR全路線中最悪の赤字路線と言われていた路線だけに、元々雲行きが怪しかったのですが、今年に入ってどんどんその予想が具現化してきたのです。
JR北海道の体力低下を如実に示す、留萌~増毛間廃線計画
まず6月には、JR北海道が留萌本線全線の廃止を沿線自治体に打診していることが判明。
そして、昨日10日、JR北海道はその中でも特に閑散区間である留萌駅以降の廃止を発表しました。
区間廃止の年度は2016年度、つまり、この記事を書いている時点で「来年」です。
急な話と言う気もしますが、そもそもJR北海道自体が国によって再生の途上という状態であり、もはや路線を維持するための基礎体力がなくなっているのでしょう。
不幸中の幸いというべきか、留萌~増毛間には地元バス会社「沿岸バス」によって路線バスが運行されており、利便性の面でもそう悪くない(乗り継ぎによってはかなりの待ち時間はありますが)のが救いでしょうか。
留萌本線はそもそも必要とされているのか?
留萌本線自体については別記事でもまとめようと思いますが、筆者としては思い入れもある路線であり、残念です。既に打診がされているとなると、残りの深川~留萌間の将来もかなり危ういと思った方がいいでしょう。
ただ、乗客が極端に落ちていて、しかも保線もやり切れていないとなると、実質的には難しいですよね…私企業(しかも相当ピンチ)であるJR北海道にとって、公共性の維持・安全性の保持・経営再建の三すくみは、これからも付きまとう重い課題になってくるのではないでしょうか。
「スカスカ」が実情…留萌本線とその母体の現実
前述したように、筆者は本路線に思い入れがある立ち位置の人間なのですが、そんな鉄道ファンとしての思い入れとは別に、仕方ないかと思う部分はあります。そう思わざるをえないほどに、実際に乗った留萌本線の閑散ぶりはひどいものでした。単なる旅行客にすぎない私が一見してわかるレベルで。スカスカ、という言葉がぴったりです。
もちろん、深川にせよ留萌にせよそこそこの規模の街である以上、客観的に言って、「全く」ニーズがないというのは考えづらいです。学生はもちろんですが、車を持っていないならその傾向は特に強まるはずです。昨今は高齢者の免許返納なども取りざたされていますから、長期的に見れば、ニーズはある…というのが理屈の上での話です。
ただ、問題はそのニーズが運営側であるJR北海道の最低基準を現に満たせていないということ。そして、そのJR北海道に、身銭を切ってまでこの路線を維持するほどの体力が、おそらくもう残っていないという事です。公共性といくら言ったところで、運営母体そのものが持たないのでは手の打ちようがありません。
これまでの政策はそもそも適切だったのか?
既に廃止確定の留萌~増毛は仕方ないとしても、それ以外は残したい。地元の思惑としてはそうでしょう。ただ、この状態で留萌線を残すとなると、恐らくはJR単独では困難で、国や自治体の関与が必要になってくるはず。つまり痛み分け、です。
この状態では、どういう形におさまるにせよ、自治体や道にとっては不満の残る結末にならざるをえない。ただ、それはJR側にとっても同じでしょう。ここまで問題が深刻化してしまった以上、全員が納得する結末などもうありえないのです。
それに、そもそも自治体や道がこれまで留萌本線の問題を真剣に考えていたのかは、部外者の目から見ても疑問が残ります。それを端的に象徴するのが、並行する高速道路に走る深川~留萌間のバス。ルート的に完全に被ったこのバスは、留萌本線にとってはモロに競合です。もともと少ないニーズをさらにかっさらっている存在には違いありません。
そして、これは留萌本線に限ったことではありませんが、問題はこれらの道路整備やバスへの補助を、当の自治体や道が積極的におこなってきたこと。もちろん、利便性の向上という意味ではわかるのですが、ただでさえ息も絶え絶えの留萌本線にとっては追い打ち以外の何物でもありません。
それをわかってやってきたのか。そして、もし仮に留萌本線を残すとするなら、これからどうするつもりなのか。もちろんJR北海道側の問題もあるとはいえ、留萌本線の存在は、過去の政策の是非までを自治体や道に突きつける、あまりにもわかりやすい例と言えます。
雪崩であっさり運休になった、留萌本線初訪問の思い出
私がはじめて留萌本線を訪問したのが数年前のことです。広さばかりが目立つガランとした駅舎に置かれた、巨大なカズノコのオブジェが、ここが漁港街であることを強烈に主張していたのを覚えています。その日は沿岸バスで留萌まで下って来て、一度増毛によってから留萌線を乗り潰して帰るつもりでした。
ところがまさにその当日、わたしが列車を待っている間に留萌以遠で雪崩。あえ無く留萌線はその冬いっぱい運休になったことがありました。結局、わたしが増毛を訪問できたのは、その翌年のことです。もちろん今回のことと直接の関係はないですが、今となってはなんとなく暗示的な出来事だったな、とも思うのです。