バトルもので定番の展開のひとつが、
「悪役が改心して仲間になる」
というものです。
ただ、冷静に考えてみると
これほど無理のある展開もありません。
それまでひたすら凶暴さ・凶悪さを
強調されていた相手が、
突然善人になってしまうなんてことが
そうそう起こるわけもありません。
性格はそう簡単には変わらないのが普通なわけで、
あまりにもいきなりすぎるのです。
さらに言えば、性格の変化は百歩譲ってよしとしても、
それまでやってきたことがいきなり帳消しになるわけがありません。
バトルものにおける悪役というのは、
現実の「街でちょっと悪いことをしてる連中」程度とは格が違います。
常人ではあり得ないような悪行を
ずっとやってきたようなキャラであることが
わざわざ明示されているわけで、
当然、途方もない恨みつらみを買っているはず。
ましてや、バトルものの世界観というのは、
ハナから争いが面白いように起こるのがデフォルトです。
いかに改心したとしても、
多かれ少なかれ、その後に何かしらの影響は出るはずです。
とはいえ、漫画の世界では、
こうした話はそもそも野暮ですし、
実際にほとんどの作品では無視されます…ごく一部の例外を除いて。
その数少ない例外のひとつが、
今回ご紹介する暴走族モノ、『特攻天女』(みさき速)です。
平凡な暴走族ものに漂う不穏さ『特攻天女』の序盤設定
最初期は典型的ヤンキー作品だった『特攻天女』
『特攻天女』は95年より週刊少年チャンピオン(秋田書店)に連載された作品。
単行本は全30巻に渡り、かなりの長期連載と言ってよいでしょう。
まず、ベースとなる設定ですが、
主人公は、中学生ながら暴走族の特攻隊長をつとめる少女・和泉祥。
特攻隊長とはいうものの、ヤンキーにありがちな
スレたところが微塵もない、素直(悪く言えば単純)な性格です。
彼女が所属する「夜桜会」は千葉県下でも喧嘩では最強を誇るレディースで、
財閥の令嬢である天野瑞希。
冷酷な性格ですが、何故か祥に対してだけは異様なまでの甘さを見せます。
暴走族ライフを満喫していた祥でしたが、
そんなある日、関東でも大規模な暴走族「鬼面党」のトップである
高村大に惚れこまれてしまう…
そんなところから、話が始まります。
以上の導入部からもわかるように、
『特攻天女』は最初から
特異な作品だったわけではありません。
むしろ、連載開始時点では、
他の暴走族ものの設定をツギハギしたような、
類型的な作品の一つに過ぎませんでした。
金持ちが暴走族の頭というフィクション性の強さも、
別に珍しいものでもありません
(金持ちが族をやるという設定は、現実離れしている割になぜか採用作品が多い)。
強いて特徴を挙げるなら、
少女漫画的なラブコメ要素が強いかなという程度でしょう。
話の展開的にも、
暴走族がらみの争いがただただ連続する、
まさにありふれた、ヤンキー系娯楽作品の典型だったのです。
あらかじめ明示された、「味方キャラ」の凶悪さ
ただ、本作は、かなり初期の頃から
1つだけ、他の作品と異なっていた点がありました。
それは、「主人公の味方」であるはずのキャラの凶暴さです。
祥にほれ込む高村も、普段はコミカルなものの、
いざ暴力を振るう段となると
歯止めがまったく効かなくなることが
明確に描写されていますし、
主人公を寵愛する瑞希にしても
喧嘩に当たっては大ぶりの刃物を日常的に持ち出す有様。
仮に現実で同じことをやろうものなら、
何人かあの世行きになるのは確実で、そうなっていない方が
むしろ不自然なほどです。
いわゆる「悪役」ならまだしも、
主人公の身内ポジションのキャラの暴力性を
ここまであからさまに強調するというのは、
いかに暴走族ものとはいえ稀です。
この傾向は、作品の進行とともにどんどん顕著になっていき、
中盤に差し掛かるころには、高村や瑞希たちが過去に
相当の(グレるなどというレベルではない)悪事を
働いていたことも明確に示されて行きます。
凄惨な悪事の行き着く先 『特攻天女』が描き出す罪と報い
過去の行いは、決して消え去りはしないという現実
そんな不穏さが一気に表面化するのが、
一般人の女性キャラ「姫月ゆうこ」の登場と、
そして、そこから少しのタメを置いて始まる
通称「月下仙女」編と呼ばれるエピソードです。
これ以降のストーリーについては
あらゆる意味で目を覆う様な内容。
詳しくは書けませんが、端的に言うと
「メインキャラたちが過去にやってきた悪事」が
利子をつけて返ってくる内容です。
「悪事」が具体的にどういうものだったのかは
読むだけでも気分が悪くなるものですし、
それによってもたらされる展開も、
加害者・被害者側ともに
まるで救いと言えるようなものではありません。
ですが、これこそが、まさに本作の最大の特徴。
どんなに表面的にごまかしたつもりであろうと、今がどうであろうと、
罪を犯したという事実、それ自体は決して魔法のように消え去りはしないのです。
良識も倫理も片っ端から粉砕する、鬼気迫る心理描写
暴力描写も当然それまで以上に凄まじいものですが、
それよりなにより強烈なのが、心理描写。
善悪の境目さえ怪しくなってくるモノローグの連続は、
傷つけられた人間の恨みや執着というものが
一般的な漫画のようにはやすやすと消えないこと、
人間の執着の前には、理屈など何の役にも立たないこと、
どんなに汚かろうと人としての尊厳を捨てることになろうと、
弱者が強者に対抗するには、手段を選んでなどいられないこと、
そして、改心や贖罪などというものが、
口で語るほどやすやすとなされうるものではないこと、
などなど、
口当たりのよい良識や倫理とは真っ向から対立する、
救いようのない現実を白日のもとにさらして行きます。
このあたりの鬼気迫る描写は、ヤンキーものはおろか、
バトルもの全般をみてもめったに見られません。
設定こそ(むしろフィクション寄りの)暴走族ものですが、
ことここに至って、本作はもはや「ヤンキーもの」の範疇を
完全に逸脱します。
そこにあるのは、いつまでも消えることのない、
「犯した罪と、その報い」の物語なのです。
「スッキリした結末はありえない」ことこそが主題の問題作
以上のように、極めて陰惨さが際立った内容です。
当然、単なる暴走族もの以上に人を選びます。
話の展開はもちろんですし、
最終的な話の締めも、
世間一般的な倫理観で考えたら、
どうやったってスッキリしようのないものです。
ですが、本作の猛烈な後味の悪さは、
考えてみればむしろ当然のものでもあります。
本作のように事態がこじれにこじれ、
罪と償いが必要な状況になった時点で、
どんな形に帰着するにせよ、
誰もがスッキリする結末など、
そもそも最初からあり得ないのですから。
その、まったくもってやりきれない事実を
隠すことなくさらけ出す。
本作の価値は、まさにその1点にあります。
あまりのインモラルさゆえに
とても万人には勧められるものではありませんが、
問題作であることを前提とすればクオリティはピカイチです。
一読すれば、展開のひとつひとつが、
脳裏にいつまでも刻み付けられるはず。