熱笑!花沢高校(どおくまん)感想 古臭いからこそ描きえた圧倒的迫力

娯楽作品には、時の経過によって古びてしまう作品とそうでない普遍的な作品があります。
マンガの場合はそれが特に顕著で、
描かれた時代の空気や流行りを反映していればいるほど、
その古び方も激しくなってしまう傾向があります。

あくまで傾向ではありますが、その意味では大衆娯楽に徹した作品ほど、
のちのち「古びてしまう」ことが多い。

ただ、それが悪いというわけではありません。
名作ばかりが取りざたされがちですが、
漫画というのは結局人気商売という側面も強いですから、
その時々の読者を楽しませさえすれば、その役目は十分に果たしていると言えます。

それに、古びたと言っても、それは「面白くない」とはまったく違います。
古臭くても、まさにそれゆえの面白さがのちのちの読者を魅了することだってあるわけです。

知られざる根強い人気作『熱笑!花沢高校』

ここで紹介する『熱笑!花沢高校』(どおくまん)もそんな作品のひとつ。
昭和50年代中盤の不良漫画で、
おそらくまだ「ヤンキー」という表現がまだ登場していなかった時代の作品です。

本作が連載されたころの週刊少年チャンピオンは、
『ブラック・ジャック』など名の知れた名作が終了してしまった直後の時代。
ジャンプなどの他誌が入れ替わりに躍進していく中で、
ひとり取り残されたように地道にマイナーな作品を連発していた時期に当たります。

そんな時期の雑誌のノリを反映してか、
本作もひたすら下世話な、悪く言えば洗練という言葉からは縁遠い娯楽作品です。

と、これだけ書くとあっさり世の中に忘れ去られてもおかしくありません。実際、作品の知名度としては無名とまではいかないまでも、決して広く知られているとは言い難いマイナー作品です。
ところが、その割にはこの作品、のちに徳間書店がコンビニ本として何度か復刊したりと、
かなりコンテンツとしての息が長く、
また、今に至るまで一定層の読者をしっかりとつかんでいるのが特徴。

その秘密は何かというと、それ以降の、ある意味で洗練されたヤンキー漫画にはない、
古臭さとひきかえの、ぶっちぎりのスケールの大きさです。

『熱笑!花沢高校』の概要と特徴 固定ファンを生み続ける秘密とは

当初は下品な不良ギャグだった『花沢高校』

作者であるどおくまん氏自身がのちに述べていますが、
『熱笑!花沢高校』は、前半と後半で作品内容がまったく異なっています。

連載開始直後の本作は下品なネタてんこ盛りの不良ギャグとしてスタートしました。
舞台は大阪。
導入部分のストーリーは、
巨大な体格を持ちながら気が弱く、中学時代に凄惨ないじめを受け、
家族からさえバカにされ続けてきた主人公「力勝男」が、
高校進学に当たって同級生が誰も選ばない遠方の花沢高校を選び、
不良学生として生まれ変わろうとする…というもの。

のちの『カメレオン』(加瀬あつし)をはじめ、様々な作品で見られる、
「不良になることで再起をかける」パターンの作品ですが、
本作は絵面といい内容といい、とにかく汚らしさに比重を置いた下品さで、
この時期のエピソードの描写は今見返すと絶句するほどです。

ただ、この手の作品の主人公がおおむね喧嘩が弱いのに対し、
本作の主人公の力勝男は、単に極端に小心者というだけであって、
体格には恵まれており、実は恐ろしい怪力の持ち主なのです。

それまでいじめられるばかりで喧嘩などしたことがなかったために
その事実に気が付いていなかった彼ですが、
不良として振る舞っていればどうしたって向こうからトラブルがやってきます。
ごまかすこともできず、なりゆきではじめての喧嘩をする羽目になった力ですが、
見事に相手に勝利して、ついに本当に不良として目覚めることになります。

この流れからもわかるように、本作の初期は、
下品極まりないギャグエピソードを頻繁に挟みながらも、
力がはじめての舎弟である石田鉄太郎との二人三脚で、
地道に不良街道を歩んでいく内容。
ヤンキー漫画の王道である、「だんだん敵が強くなっていく」パターンの典型なのですが、
なにしろこのコンビの性格が非常にせせこましい上に、
ギャグの頻度が高いため、
この時期はまさにタイトル通り、笑いに重点を置いた作風だったと言えます。

シリアス化を促進した、主人公の成長と敵のパワーインフレの極端さ

ところが、単行本にして半分も行かないうちに、
本作はその様相を変え始めます。
巻を重ねるごとにギャグの頻度が大幅に減り、
シリアスな不良アクションになっていったのです。

これは前述の敵が強くなっていくパワーインフレの結果なのですが、
本作の場合はそのペースはもちろん、
敵の凶悪化が著しすぎた。
なにしろ、話の2/3ほどを占める長丁場の敵が、
「大阪の不良校を多数傘下に従えた、殺人もいとわぬ超極悪組織」なのですから。
肩書こそ高校生ですが、やってることはほとんどマフィアという連中です。

当然、こんなのを相手にする以上、主人公だって成長しないとバランスが取れません。
みるみる成長して花沢高校の番長にのし上がった力は、
その後組織に対抗するために他校と連携を結び、
戦いに挑んでいきます。

このあたりになると、もはや初期の彼とは同一人物とは思えません。
どおくまん氏は本作の後半連載時期に、
作品へのコメントとして「力が大きくなりすぎたのかもしれない」と語っていますが、
これが作風の急激な変化を如実に物語っています。

とはいえ、こうした作風の急激な変化自体は、
少年誌ではさほど珍しい話ではありません。
テコ入れという名の路線変更は枚挙にいとまがないほどですし、
そもそもバトルものの場合、
ジャンルの性質上、どうやってもいつかはパワーインフレに陥りますから、
だんだんシリアスになっていくことは避けられないことです
(それを前提にしても、本作の変化っぷりは極端ですが)。

戦国時代の合戦にも近しい、ダイナミック過ぎる大規模抗争

では、本作を本作たらしめている特徴は何かというと、
敵の組織が凶悪すぎて「不良」の範囲を完全に逸脱していることによる、
完全な勧善懲悪の構図。
そして、敵味方ともに大阪を2分する大規模組織となったことによる、
まるで戦国時代の合戦を彷彿とさせる戦闘シーンです。

この戦闘シーンですが、ヤンキー作品の「喧嘩」というレベルをはるかに超えており、
戦闘用にカスタマイズされたバイク程度はむしろ標準装備。
それどころかガチの拳銃や毒薬まで持ち出す、文字通りの「戦闘」です。

さらに、先に「戦国時代の合戦」と書きましたが、
これは描写的にも実際にその通りで、
陣形などまで練られた、まさに
「戦国時代の戦いを現代の不良の抗争に適用したらどうなるか」
というシミュレーションのような趣。

恐らくですが、作者のどおくまん氏は戦国ものがお好きなものと思われ、
作中でもたびたび宮本武蔵の決闘などのエピソードが取り上げられているのですが、
そうした嗜好が最大限に生かされたといえるでしょう。

結果、描きだされた長丁場の抗争は、
通常の不良漫画の枠をはるかに超えたダイナミックなものに仕上がっています。

最後の禊までを含めて成立する壮大な「英雄」物語

もちろん、ここまでの戦闘となると、その被害の方も
不良同士の抗争という呼び方で収まる規模では到底済みません。

決着がついた後、力たちは敢えて、
社会に対しての責任を果たすことになります。
その果てに、力がたどり着いた境地とは―――。

もし抗争まででこの話がスッパリ終わっていたとしたら、
ここまでの根強い作品の評価はなかったでしょう。
単なる過激な抗争ものという評価だけで終わっていたはずです。

自らだけをいたずらに正当化することなく、
ただ、起こったこと、起こしてしまった結果への
禊を果たすまでになった力の成長ぶり。

賛否はあるにしても、その精神性だけを見れば、もはや「番長」という枠を超えた、それこそ戦国時代の武将たちのような、ほとんど「英雄」に近い風格さえ漂わせています。
そんな彼に最終的に与えられたもの。そこまでが全て込みで、この作品のスケールの大きさに繋がっているのです。

圧倒的に古臭いからこそ生み出せた、強烈な吸引力

もっとも、ここまでで語ってきたひとつひとつの要素を冷静に見れば、
連載当時でさえどうだったかわからないほどの
古臭さが漂っているのは紛れもない事実です。

完全な悪とそれに対抗する善玉という構図は
最近では子供向けの特撮でも珍しいような単純さですし、
戦国時代のノリを活かした戦闘にしたって、
まるで現実味はありません。
その荒唐無稽さ加減は、下手をすると、
まるで戦後すぐの、まだ子供たちの娯楽が時代劇だった時代の香りさえ
感じてしまうほどです。

ですが、そうした単純極まりない、
古めかしいプロットだからこそ出せるものが、確かにここにあります。
現代的なこざかしさのない、あまりにもストレートだからこそ描き得た、
圧倒的な迫力とキャラクターの魅力。

初期の描写だけで毛嫌いされがちな作品ではありますが、
手に取る機会があったら是非一読してみてください。
今のバトル作品にはない、
強引なまでに読者を巻き込む吸引力を味わえるはずです。

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