世の中は不平等だ。一般的には否定されがちだけれど、それが事実だということは誰でも程度の差こそあれ感じているだろう。
わかりやすいところでは、たとえば産まれた家がたまたま金持ちかどうか。たったこれだけをとっても、人生は全く変わったものになってしまう。
そもそも人生の中で取りうる選択肢の幅がまったく違うのだから。
もちろん努力に意味がないとは言わない。けれど、少なくともスタート地点が違うのは事実だ。実際、平等と努力を金の御旗のように掲げている評論家たちを見ていると、大多数はそもそもそれなりに恵まれた環境で育っているわけで(少数ながら本当にすごいなと思える人物もいることは認める)、説得力も何もない。
結局、きれいごとは置いといて、わたしたちは自分の持ち駒をどうにかやりくりして生きていくしかないのだろう。
厳然とある、「マイナスの資質」
そんな不平等のひとつに、生まれ持った個々人の性質がある。
こうした性質の難しさは、「その時代時代に適した、生きていくのに有用でなければ意味がない」ことだ。たとえば、よくある「恥ずかしがりや・内気」といった性質は、それ自体は確かに替えがたいその人の個性ではあるけれど、残念ながら世の中を渡っていくうえではマイナスにしかならない。
矯正できる程度であればいいけれど、それは無理とまではいかないにしても、簡単なことではない。もしそうなら、「生来の性質」なんて言葉が生まれるわけもない。
そうなると、残る手段はごまかす手段を考えるか、もしくは、それが問題にならない分野で活躍できるほどの能力を身につけるか。
ただ、残酷なのは、これらの対抗措置が功を奏すかどうかは未知数ということなのだけれど。本当に世の中はままならない。
それでも、恥ずかしがりやな程度なら、まだ世の中に受け入れられるレベルだからまだいい。その資質が、本当の意味で救いようがなく世の中から乖離したものであったなら。恐らく、その人にとっての世界は、想像もできないほどに荒涼としたものになってしまうだろう。
生まれつき歪んだ者の、歪んだ処世術 江波光則『ストレンジボイス』
そんな救いのない世界を、非常に極端な形で表現した陰鬱極まりない作品が『ストレンジボイス』(江波光則/ガガガ文庫)というライトノベルだ。
ライトノベルとはいっても、本作は内容的にはライトな部分はまるでない。せいぜい文体が読みやすいのと、イラストが付いていることくらいだ。
本作は、不運なことにとことん世の中を生きていくのに不向きな性質を持ってしまった3人の中学生を軸に話が展開する。
出だしは、凄まじいクラス内のいじめにより、登校拒否になってしまった男子の話からスタート。
ここだけを読むなら、いじめを真面目に論じる内容かとも思えるのだけれど、本作に関しては複雑骨折するほどのいじめでさえ話のきっかけでしかないというのが恐ろしい。
それほどに、本作の三人の中学生は、それぞれの形で根本的におかしい。
救いがなさすぎる、日々希と遼介の共依存
問題のひとりは、いじめの主犯格、日々希。
彼は、常に人をいじめていないと「スッキリできない」というとんでもない性癖の持ち主だ。
彼は、自分の中で「いじめていい」と判断した相手を、虐待と言った方がいい手段でもって暴行する(作中では殺人未遂ともいえるとさえ明記される)。
ただ、単に暴力的というわけではなく、いじめの対象とみなした相手以外には一切手を出さないし、不幸にもいじめの対象となった相手に対してでさえ、カツアゲなどは一切行わない。
常に自分が暴行できるターゲットがいること。それで初めて精神の安定を保てるのがこの日々希なのだ。並みのサディストどころの騒ぎではない。
問題のある家庭環境で育った彼ではあるけれど、それは彼自身にとっては割り切っており、さほど重要ではない。
作中で当の本人が自覚し、述懐するとおり、ただ「おかしい」のだ。
そんな彼だけに、いじめの対象がついに登校拒否になってしまったことで、「大事な」ターゲットの喪失という事態に直面する。
もう一人が、まさにそのいじめの餌食となっていたターゲット、遼介。
彼は、徹底的な他者依存性を持っており、無視されるくらいなら日々希にいじめられる方を選ぶという、これもまた極端すぎる性質だ。
常識的に言えば、彼の選択はありえない。それこそ自分からライオンの檻に生身のまま入っていくようなものなのだから。
けれど、それを彼は実行し続け、結果として自分の片腕を修復不能なほどに物理的に粉砕されてしまう。
事ここに至って、彼はついに学校という居場所(傍から見たら地獄でしかないのだけれど)を放棄する。
そこで新しい方向に進めばまだ救われる余地もあっただろう。けれど、彼にはそれができない。
彼が見出した新たな人生の意義は、「卒業式に乗り込んで、日々希を殺すこと」。
一見、いじめられっ子が(倫理的にはともかく、少なくとも心の中では)ごく自然に行き着く破壊願望ではある。
けれど、彼の場合は本質的に違う。
形こそ以前とは真逆だけれど、結局は日々希の存在がないと、何をしたらいいのかさえ分からないのだ。
日々希を手持ちのバットで殴り殺すことだけを夢見て、彼は日々、肉体を鍛え続ける。
トレーニングの一環として始めたバッティングが、見物人に褒められるほどの上達ぶりを見せていることにも、自分にそうした可能性が眠っていることも自覚できないままに。
つまり、いってみれば日々希と遼介は、これ以上なく最悪の形ではあるけれど、関係性としては共依存に近いのだ。
この段階で、あまりに救いがない。
語り手・水葉のある意味ヤンデレを超える壊れっぷり
ただ、本作は、この二人だけでは終わらない。彼ら二人の道行きを物語る、その語り手こそがある意味で最も壊れているのだ。
語り手である少女・水葉は、いじめ、いじめられの彼らとは異なり、そもそも他人とのコミュニケーション自体を正常に行うことができない。
理解そのものはもちろん、それに適応することも自然のままでは何ひとつできないのだ。
けれど、生きていくうえでは、なんとか帳尻を合わせないといけない。
その結果、彼女が編み出した生き方は、他人を住所はもちろん行動まで全てをデータ化し、そのデータの山から無難な立ち回りを導き出していく、という迂遠極まりない方法だった。
当然、その無難さな立ち回りのためには、周りがどうあろうと一切無視。日々希のいじめに関しても、関わりもせず、かといって助けるわけでもなく見過ごしてきた立場だ。
要するに徹底的な傍観者なのだけれど、その一方でデータを入手するという目的のためなら、なかばハッキングに近い行動さえ厭わない彼女の姿は、もはやストーカーそのものだ。
ただ、ストーカーと違うのは、他人に対して一切の思い入れがないというその一点だけ。
彼女にとって他人は厄介なものでしかなく、データ集めに必死なのもそれが生存のための手段でしかないためだ。
彼女は一見無難にやっているようで、実は自分がどうやって生き抜くかだけしか考えていないのだ。
もちろん、本人も自分が異常であることは自覚している。ただ、だからと言って彼女には他の方策が思い浮かばない。
結局データ集めを繰り返すだけの日々を送っていたところに、登校拒否騒動が起こったことで、彼女は彼ら双方に対して深入りを始める。
…というのが本作のアウトラインで、三者三様、見事にねじが外れてしまった彼らの姿は、およそ爽やかさなどとは全く無縁だ。
なにしろ、三者三様でまったく出口がない。
特に、水葉の孤独感と偏執性は、読みようによっては気持ちが心底うすら寒くなってくる。
読み手も社会も凍らせる…『ストレンジボイス』の結末
そして、先に書いてしまうが、本作はこの3人の、誰もが救われない形で卒業式を迎えるところで、ブッつりと終わってしまうのだ。
そして、そこで水葉がたどり着く結末は「純粋な意味での諦め」だ。
自分の生来の厄介な性質を仕方ないもの、受容せざるを得ないと諦める。
世の中でうまくやっていけない自分を、仕方がないものとして受け入れる。
そのかわり、生きていく手段は問わない。
他人をこれまで以上に記録し、ひそかに操り、そして自分の利益のために破壊する。
そうでもしないと、わたしの人生はマイナスにしかならない―――
あえてラストを書いてしまったが、本作については彼女がここに至るまでの過程の方が本題なので、明かすことに問題はないだろう。
むしろ過程を知らないと、なぜ彼女がこんな結論に達したのか意味がわからないだろうから。
厄介な男子二人の結末と併せ、その諦念にみちたラストをぜひ見届けて欲しい。
水葉の出した結論は、社会的には迷惑そのものだし、彼女自身のことに限って言っても末期的だ。けれど、どうしようもない性質を背負ってしまった、生まれながらにハンデを背負ってしまったものがたどり着く、負の悟りともいえるものなのも事実だ。彼女ほどではないにせよ、同じように社会になじめなかった読者は、不快に思いながらも恐らく水葉に一抹の共感を覚えるだろう。そこに、この物語の悲哀と怖さがある。
もっとも、こうした考えは言ってみれば内心のうめきのようなもので、明文化することは難しい。
そんな混沌とした感情を、それなりに経緯に納得できる形に整理して書き記したことに、本作の意義があると思うのだ。
努力だ平等だといった声ばかりが大きく響く今の世の中だからこそ、水葉の結論は寒気のするような存在感を持って、読者の心に鋭い傷を残していくはずだ。