「逃げる」という行為には、「相手に絶対にかなわない」という前提がある。
だからこそ、逃げるという行為には恐怖が付きまとう。
逃げ切れなかった場合、どう転んでも末期的な状況しか待っていないことが容易に予想できるからだ。
それだけに、多くのホラー作品で「逃げる」という行為は作品の中核を占めることが多い。
ただ、それでもアクション要素だったり、そこに至るまでの事情など、ある程度それ以外の要素を入れておくのが一般的ではある。
娯楽作品として成立させるため、感情移入度を高めるためには、まずは周辺を描き込もうという発想が普通だからだ。
そんな中で文字通り「逃げる」という行為だけに作品テーマを絞った作品がある。
日野日出志氏のコミック『恐怖列車』である。
ただひたすら「逃げる」がテーマ 日野日出志『恐怖列車』
世界観的には、一種の異世界ものに近い。
ある日、旅行の帰りの電車が止まった。すぐに復旧はしたものの、それを境に主人公の少年の世界は一変してしまう。
ようやく帰り着いた家で、両親が自分を殺そうと襲い掛かってきたのだ。
―――と、このように、本作も基本設定だけはある。
「逃げなければならない」状況説明だけは、どうやったって外すことはできないからだ。
ただ、この説明が終わると、あとは本当に、主人公の少年がただひたすら逃げるだけ。
その点で、本作の基本構造はとてもシンプルだ。
実際、親への違和感がハッキリした恐怖に変わるまでの過程は、ページ数的にも最低限に抑えられており、ほぼ逃げるばかりの逃避行に大半の紙幅が割かれている。
悪夢の泥沼感をそのまま漫画化したホラー性
「逃げる」という行為そのものに特化した構成だけに、本作は捕まったらアウトという嫌な泥沼感が嫌になるほど前面に出ている。
読んでいるさなかの感想を一言で言うと、「何かから逃げようとする悪夢をそのまま漫画化した」といった感じだ。
そういう夢をみたことはないだろうか。
だいたい脈絡もなにもあったものではないけれど、あの手の夢は脚を取られたり、障害物があったりとスムーズに逃げ切れるようなものにはならない。
悪夢だから当然なのだけれど、「逃げ切れない感」の切迫感だけが延々と続くような感覚に陥るものだ。
本作『恐怖列車』で味わえるのはまさにそれ。
ハッキリ言って、両親が豹変した理由などはどうでもいいのだ。
重要なのは、両親が出刃包丁を持って迫ってくるという事実だけ。
普通、こうした内容のホラーでは両親がなぜ変貌してしまったのかということについて、程度の差こそあれ、理由を全く無視するということはあまりない。
けれど、本作はそこを、意図的にかどうかはわからないけれどスッパリと排除した。
結果的に、本作には不純物がない。
理屈づけが一切ないだけに、ただ、逃げるしかない、でも思うように逃げられないという胃が痛くなるようなキリキリした感じが延々と続く。
サバイバルホラーというジャンルの作品は多いけれど、ここまで突き詰めた作品はそうそうないだろう。
恐怖の疑似体験に特化した、機能的な「嗜好品」
もちろん、ここまで特化してしまった作品だけに、作品的な深みがあるかというと別の問題。
設定そのものは極端な話取って付けたようなものだし、構成上伏線などもない。
一つ一つのギミックそのものも決して凝ってはいない。
作りとしてはハッキリいってちゃちでさえあり、文字通りB級ホラーを地で行く中編にすぎないのだ。
ただ、ホラーというジャンルを「恐怖感を疑似的に味わうためだけの嗜好品」と捉えるなら、ここまで「機能的」な作品もそうない。
日野氏のお家芸といえば真に迫った狂気や不潔感、あるいはそこから醸し出される独特の情緒などだけれど、本作に関してはそういった要素は薄い。
だから、氏の作品としては印象もさほど強い方ではない。
逆に言えば、その分、ただただ「読者を怖がらせる」ことに特化して描いたともいえるし、その点で日野氏の手腕はさえまくっている。
B級ホラー特有の「読者を怖がらせさえできれば手段は問わない」という強引さと作家の相性がいい意味でガチっとかみ合った作品といえるだろう。