作家にはそれぞれに特有のクセがある。個々の物語の流れとは別に、どうやっても設定や文章に滲み出してくる、固有のスタイルのようなものだ。
もちろん作風自体は広い作家も狭い作家もいるけれど、その幅に関わらず、このクセを完全に感じさせないということは難しい。
海外探偵小説の大御所の一人、エラリー・クイーンも、その個性が非常に強く出ている作家の一人だ。
そして、その個性が激しく出た故に日本で突出した人気を誇る作品が、『Yの悲劇』である。
生粋の「探偵小説作家」エラリー・クイーンの作風の特徴とは
エラリー・クイーンという作家を語ろうとしたとき、まず思い浮かぶのはトリックの論理性だ。
探偵小説というのは、本質的に読者と作者の知恵比べ、一種のパズルストーリーという側面がある。
つまりトリックを見破れるかどうかというゲーム性なのだけれど、エラリー・クイーンという作家はここに徹底的にこだわる。
作品によっては作中で一旦話を切ったうえで読者に「手掛かりはすべてここまでに記しました。さあ、犯人を当ててごらんなさい」とわざわざ挑戦状をたたきつけるほどの徹底ぶり。
作者自身が、ゲーム性のある娯楽として自身の作品を捕えていたのだろう。
ここまで徹底した作家は実は大御所でもそれほど多くない。トリックは二の次にして、スリリングさを重視する作風の作家の方が、実は多数派なのだ。
それだけに、こうしたゲーム性を重く見る探偵小説好きにとっては、クイーンはマイフェイバリットと言ってもいい存在感を誇る。
ただ、当然ではあるけれど、トリックだけでは探偵小説は成立しない。
そのトリックを用いるに値するだけの、舞台設定とストーリーが必要だ。
そして、この点において、エラリー・クイーンにはまさにクセといっていいクセがある。
仰々しいまでの大げさな舞台設定と、それを生かした起伏の激しいストーリーラインだ。
クイーンの癖がモロに出た…賛否両論の『Yの悲劇』の世界
このクセについては昔から著名人の間でも賛否両論を呼んできたけれど、それが極端に強く出たのが『Yの悲劇』なのだ。
富豪の屋敷で起こる風変わりな殺人事件を描いた本作は、そのあまりにも予想外の真相もさることながら、あんまりな舞台設定で知られる。
なにしろ、舞台のなる富豪一家にまともな人間が誰一人いないのだ。
性格が少しおかしいとか、そういうレベルでさえない。
いくら探偵小説が娯楽だからといっても、ここまでくるとリアリティなどは皆無だ。
ただ、おそらくだけれど、作家サイドもそんなことは重々承知だっただろう。
そんなことは分かったうえで、あくまで娯楽作品としての派手さ・衝撃性を重視したのではないか。
実際に、本作を読んでみるとわかるが、並みの作家であればつい出てしまうだろう照れのようなものがまったく感じられない。
その大真面目なノリゆえに、読後はともかく、読んでいる間には違和感は感じないだろう。
そして、こうした派手なストーリーテーリングだけに、海外小説にありがちなわかりづらさや単調さが一切ない。
それだけに、作品世界になじみやすい。特に我々多くの日本人の場合、たとえ少々強引でも物語性の濃さに惹かれる傾向があるからなおさらだ。
冒頭から一気に本筋に読者を引き込んでいく手腕は、力業ではあるけれど、さすがの一言だ。
意外なラストまで含めて、流れるように読み切れてしまうだろう。
意外さ以上に危うさがある、『Yの悲劇』のラスト
そして、そのラストは正直、衝撃である。
意外な犯人を提示するのは探偵小説の常道で、実際本作もその点では他の小説と変わらない。
ただ、本作の「意外さ」は、質が違うのだ。
事実そのものの意外さ以上に、「こんなことがあっていいのか」という、価値観そのものを侵食するような危うさがある。
もっとも、盛り上げ方がいささか大げさなだけに、この物語についてはこれくらいやらないとうまく〆として決まらなかっただろう。
見方によっては泥臭くさえある作品ではあるけれど、未読の方は是非。
たとえどういう作品かが事前にわかっていても、つい引き込まれてしまう語りのうまさは必見だ。