幸せのひこうき雲(安達哲)感想 ド外れた描写力で描かれる心の切迫感

現在では『バカ姉弟』でのほのぼのしたイメージが
広く知られる形になった漫画家・安達哲氏ですが、
90年代あたりの氏のイメージは
青春のモヤモヤ加減を容赦なく描く
エッジの効きまくった作家というものでした。

その筋での評価の高さはもはや伝説的なもので、
初期の代表作である『キラキラ!』などは
連載から30年近くたった現在でも
まったく色あせていません。

安達哲氏のエッセンスが深化した『幸せのひこうき雲』

モヤモヤを感じるのは青少年だけじゃない

『キラキラ!』終了後も、
安達氏はその路線をさらに深化させた
『さくらの唄』など、
思春期特有の輝きといら立ちを的確に表現した
問題作を発表していきます。

ただ、モヤモヤしたものを抱えているのは、
何も年頃の青少年だけではない。

まだ年端も行かない子供だって、
青少年とはまた質が違うものの、
自分でも理由がよくわからない不安や焦燥を抱えているのです。
そして、それは「子供の領域を抜け出すことができなかった大人」も同じ。

そんな子供や大人の薄暗さに焦点を当て、
氏の作風をより広げたとも言える作品が、
『幸せのひこうき雲』です。
ヤングマガジン増刊エグザクタに連載された作品で、
単行本全1巻にコンパクトにまとまった小品ですが、
安達氏特有の、波だつ感情の描写はさらに研ぎ澄まされ、
氏のエッセンスがギュッと濃厚に詰まった
作品に仕上がっています。

生徒と教師の異常な関係の裏側 『幸せのひこうき雲』序盤あらすじ

『幸せのひこうき雲』で描かれる内容を一言でまとめるなら、
田舎町の学校で繰り広げられる、
一人の少年と担任女教師によるインモラルな関係、
ということになります。

主人公の少年、丸籐竜二は、両親の離婚により、
田舎の祖母の家に預けられ、
近くの学校に転校することになります。
ですが、編入したクラスは、
担当の西條美津子が強権を振るう、
典型的な管理教育学級。
ただでさえ内気な竜二は、
転校のプレッシャーもあって
なかなかクラスにもなじめません。

それでも、ようやくクラスメイトたちと放課後に遊ぶ約束を取り付けた、
まさにその日の夕方。
居残りをさせられていた竜二は、
ふとした出来心から、美津子に弱みを握られてしまいます。
それをきっかけに、
美貌の女教師と生徒の異常な関係が始まっていきます。

導入部のあらすじはこんな感じですが、
その後延々と描かれる美津子の一方的な行為は、
インモラルなのはもちろん、
竜二の立場など一切考慮しない、あまりにも身勝手なもの。
ですが、竜二にはそれに抗う術がありません。
そこにあるのは、
大人と子供の、覆しようのない力関係の差だけ。
打つ手もないままにそれに翻弄され、
竜二はますます孤立していきます。

ただ、美津子は美津子で、
様々な事情から、
既に破綻寸前の心理をもてあましている状態だったのです。

そんな二人の、長続きするわけもない、
円満とは程遠い関係性を通じて浮き彫りにされていく、
行き場のない心の機微が本作の見どころです。

「大人だってロクなものじゃない」という独特の構図

安達氏のこの時期の多くの作品に共通する点として、
大人が子供の世界を台無しにしてしまう、という
視点があります。

ただし、この手の話にありがちな、
まず大人を大人として認めた上で、
その欺瞞や力の大きさを理由に反目していくような、
ストレートな構図とは少し毛色が違う。

安達哲作品の場合は
そもそも「大人だってどうせ大した存在でもない」という
あきらめに似た前提がまず感じられるのです。

大人だからというだけで
大したことをしてるわけでもないにも拘わらず、
偉そうに上から目線で、権力を行使していく。
それが子供にとっては大迷惑以外の何物でもない。

つまり、安達作品における大人と子供の対立は、
「お前らだって人のこと言えるほど立派なわけじゃないだろう」
という怒りに根差したものなのです。

極端に先鋭化した、歪んだ力関係と未成熟な感情

本作の竜二と美津子の関係は、
まさにこの構図の、極度に先鋭化したものに他なりません。
それどころか、この関係には、大人なりの正当性自体、
ハナから存在しないのですから。

立場や目線こそ上からのものですが、
彼女がやっていることは、
どういう事情があるにせよただの八つ当たりに過ぎず、
子供の癇癪とさしたる違いはない。
教師という、子供にとっては絶対権力に等しい力を持っている分、
むしろ余計にタチが悪くなっています。

ただ、だから彼女が向かうところ敵なしの強者かというとそれは違う。
彼女は、自分がロクなことをしていないこと自体は
自覚しています。
にも拘らず、竜二に対する暴虐のみならず、
わざわざ裸になって車を走らせてみたりと、
普段の日常からしてもはや自己破壊としか言えない行動に走る。

それは、美津子自身の敬虔な親への反抗心かもしれません。
物語中で明確な描写まではされないのですが、
彼女の母親はぱっと見でも明らかな理想主義者であり、
その教育方針がどのようなものであったのかも
うっすらとは想像はつきます。
少なくとも、一方的に価値観を押し付けたんだろうな、くらいのことは。
かろうじて読み取れる範囲だけからみても、
彼女への影響力の大きさはうかがえる。

恐らくは明るい未来を信じて母の教育を受け入れたであろう美津子が、
その果てに夢破れて失意の帰郷を果たし、教師になる流れの中で、
どんなに不満や焦燥をふつふつとため込んできたのか。

もっとも、その感情が児童たちへの極端な態度として
噴出することになるまでの
思考の流れを明確に説明することなんて、
この話に限ったことではなく、そもそも不可能です。

ただ、ハッキリと分かるのは、
美津子が自らの暴走の過剰さを理解はしていながら、
衝動的な行動を既に制御できなくなっていること。
かといって、そこまで行き着いた身でありながら、
自らの衝動に身をゆだねることさえできていないこと。
「だれか私を止めて」とつぶやく
彼女が、奔放な振る舞いに反してまったく解放されていないこと。

その様は、大人になり切れないなどというレベルを超え、
まるでわけもわからず泣きわめく赤ん坊のようです。

今の彼女にとって一番の、そして絶対に勝てない敵は、まさに自分自身の感情なのです。

大した存在でもない大人が、
子供を余計に未成長な存在にしていく…という悪循環が、
あまりにも端的な形をとって執拗に描かれています。

バーチャルリアリティを凌駕する、驚異の描写力

読んでいる方が追い詰められる女教師の焦燥

ただ、本作を実際に読んでみると、
こうした実直な社会批評的な側面は、
あまり露骨なものではありません。
安達氏の初期の作品にくらべると、
背景を読者にやんわりにおわす程度の力加減になっています。
批評性を前面に出しすぎて、
なかば作者の語り同然になっている作品は少なくありませんが、
本作はあくまでも「物語」の枠を死守しています。

ただ、その代わりに、
美津子の内面の閉塞感の描写っぷりがすさまじい。
どこにも行けない。
何をすべきか、していいのかさえ分からない。
成長にともなって身に着けておくべき、
そんな価値基準さえ見失った彼女のドツボっぷりは絶句ものです。

それがあまりにも真に迫っているうえに、
焦燥感自体は読者自身も日常のふとした瞬間に感じるものと
さほど大差ないため、嫌な意味での共感性がある。
読んでいるうちに、こちらまで感化されて
追い詰められていく感覚が、確かにあります。

強引に蘇ってくる子供の頃特有の不安と苦しみ

このすさまじいまでの感情表現力は
安達哲氏の特徴でもあるのですが、
それはもう一人の主人公である竜二の描写にも
存分に発揮されています。

というか、むしろ美津子のそれ以上に。
子供ならではの不安感が、
肌で感じるかのように伝わってきます。

転校時の不安感はもちろん、
実際に孤立してしまった取り返しのつかなさ。
逆らいようのない、大人への憧れと恐怖。
自身をただ応援してくれる祖母に、隠し事をせざるを得ない苦しさ。

それらは、読者である大人にとっては、
遥か昔に過ぎ去ったものであり、
記憶には残っていても、
その感触をリアルに思い出すことは本来難しいものです。

だから、大人であればあるほど、
様々な子供のトラブルが起こるたびに、
子供は視野が狭い、などとあっさり片付けがちです。
けれど、それは逆に言えば、
大人は子供の悩みを自分事としては感じられないということでもあります。

本作の真骨頂は、まさにその鈍感さこそを粉砕してくる点です。
幼い頃の読者がかつて感じただろう、
校舎の冷たさ、だたっぴろさ、
そして、そこにぽつねんと一人でたたずむ
小さな自分への不安を、ひたすら丹念に読者の脳裏に蘇らせます。

描写そのものには一見、さほどの大げささはなく、
むしろさりげないと言ってもいいほどなのですが、
まるで読者が子供に戻って追体験しているかのような、
異様なリアルさは、他を寄せ付けません。

女教師・少年、2つの視点から、
心の奥底に潜む「嫌な焦燥感」を敢えて追体験させる、
ある意味最悪のコンセプトが、ここでは見事に実現しています。
なまじのバーチャルリアリティなどよりもはるかに生々しい、
感情の起伏を感じられると思います。

消化不良だからこそ引き立つオチの一言

なお、オチ自体の詳細については伏せますが、
本作は成長した竜二の「嘘だよ」という短いセリフを最後に締めくくられます。

本作は、前述の通りの迫真性ながら、
話自体は少しふわっとした感じで締められてしまうため、
消化不良な感じがするのは否めません。
終盤は、読み手の印象としてはかなり駆け足な感が否めず、
元の構想どおりだったのか、打ち切りだったのかも
判断に困る仕上がりになっています。

ただ、事情はどうあれ、こうした消化不良さは
ラストに関しては、結果的にいい方向に作用しているように思います。

竜二のいう「嘘」は本当に嘘だったのか。

消化不良だからこそ、本音なのかどうかさえ分からないからこそ、
ラストのセリフが異常なまでに不穏さを持って効いてくる。

読後、登場人物たちのその後に、
否が応でも想像を巡らせざるをえない、
絶妙な締めとなっています。

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