実感に訴える実験作品 『ある日…』にみる脈絡のなさというリアル

私はまだ生まれていなかったころだけれど、70年代の漫画界のムーブメントのひとつに劇画ブームがあります。
あくまでも子供向けのものに過ぎなかった漫画が大人向けになり、当時の漫画家の先生方は押しなべていかにそちらにシフトするかの思考錯誤を余儀なくされたと言うから、影響は相当なものだったのでしょう。

その過程で生まれたものの一つが、実験漫画。
それまでのまとまったシナリオを放棄し、手法の突飛さで読者にインパクトを与えることを主眼とした作品群です。

もっとも、いくら劇画ブームとは言え実験作品はあくまでも実験作品。
シナリオそのものの面白みはどうやったって薄いですから、メインにはどうやったってなりえません。
ですが、発想の新鮮さや見せ方だけに頼る手法だけに、ものによっては「え!?」というような驚きがあるのも事実。

漫画家の側にも、そうした突飛な作品で読者を面白がらせてみたいという欲求は間違いなくあったでしょう。

あっけにとられるカタストロフの驚き『ある日…』

シナリオに重きを置く作家の代表格である藤子・F・不二雄氏も、そうした作品をいくつか発表しています。
その中で代表的な例が、「ある日…」でしょう。

ネタバレになりますが、本作のテーマは藤子・FのSF作品ではよく見られるモチーフの、「人類破滅」です。
ズバリ書いてしまうと、人類の終わりはある日突然やってくる、というのをそのまんま描いたもの。
ただ、それをどう見せるか、という点で、「ある日…」は他作品とは大きく異なっています。

発想勝負なだけにあまり詳しくは描けないのですが、間違いなく読者はラストにあっけにとられること必至です。
たとえ人類破滅ものということを事前に知っていたとしても、こう来るか!という驚きは間違いなく得られるでしょう。
そして、賛否は分かれるでしょうが、一抹の納得感も。
実験作品にもかかわらず猛烈に説得力があるんですよ。

 

世の中は予兆を出すほど親切じゃない

なんでまたそこまで説得力があるかというと、これ、読み手も自身の経験から納得せざるを得ないんですよ。
よく言われることだけれど、人間ってアタマがよく回るのは事実としても、生物としての能力は他の動物に比べて圧倒的に劣るんですよね。
肉体能力なんかもそうですけど、危機察知のカンについてもそう。
日常でも、悪い予感を感じるのって、よほど訓練していない限りはもうそれが回避できなくなってから、なんてことは頻繁にありますし、下手したら実際にドツボにハマるまで認識できないことさえあります。
特に、何も兆候がない場合は。
でも、悪いことが起こるときって、だいたいそういうものですよね。仕事でも学校でも場所を問わず。いちいちサインを出してくれるほど、世の中は親切じゃないわけです。

その前提を肌で知っているからこそ、本作にもああ、こういうことあるかもって感覚が生まれます。
身近なトラブルでさえそうなんだから、人類破滅なんて大事ならなおさらなんじゃないか。
別にドラマチックなことが起こるわけでもないし、じわじわと忍び寄ってくるわけでもない。
むしろ前触れなんて何もなく、それはやってくるのかもしれない。

その点で言えば、シナリオ重視の作品とは180度逆の奇妙なリアルさがある作品です。
座りは悪いですが、人によっては他の作品以上に、ぞっとする不穏な読後感を味わえると思います。

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