ホラーというジャンルの主軸は何と言ってもどういう手段でユーザーを怖がらせてくれるかだけれど、その方法の一つとして雰囲気で読ませるという手がある。不穏な雰囲気で、じわじわと外堀からユーザーの心理的な余裕を奪っていく方法だ。
この場合、話の筋自体は、最低限の体裁を保ってさえいれば何ら問題はない。
それよりも、いかに不気味な空気感をうまく演出するかが肝になる。
こうした雰囲気重視のホラー作品を語る時に欠かせない作品が、『学校であった怖い話』だ。
元々はスーパーファミコンのノベルゲームとして発表された作品だが、その特異な作風から発表から20年がたった現在でもその筋では語り草になっている。
『学校であった怖い話』あらすじとゲームシステム
タイトルどおり、内容は学校を舞台とした怪談もの。
ある夏、新聞部で七不思議の特集を組もうという話が持ち上がる。
その手の話に詳しい生徒を7人集めた怪談会を開き、それを聞き役の新聞部員が記事にまとめる。
その聞き役に選ばれたのが、プレイヤーの分身となる新入部員(一年生)。
取材当日、彼が部室のドアを開けると、そこには6人の生徒が座っていた。一人、足りない。
大規模校だけに、主人公は各学年から集められた彼らの誰一人として面識がない中で最後の一人を待つ時間は、立場的に再下級生である主人公にはどうにも重苦しいものだった。
結局、集まった一人の発案で、七人目を待たずして、怪談会はスタートすることになるのだが…
以上でわかるように、本作は主人公自身の体験ではなく、あくまで語り部に怖い話を語ってもらうというオムニバス形式になっている。
構造としては、「七人目が確定されていない状態で、今いる6人から順番に各々の持ちネタを語ってもらう」という流れ。
話してもらう順番は主人公の任意で決めることができ、どの順番になるかで彼らのネタの大枠がまず変化する。
その上で、選択肢分岐によって、各話の結末なども変化していくという作りだ。
また、最後の7人目に関しては、基本的には「既存の6人の語り部のうち、誰を6話目に選ぶか」によって確定する仕組みになっている。
このシステム上、話のバリエーションが現在のレベルから見ても非常に膨大なのが特徴だ。
また、単に話が多いだけではなく、選択順が後半になればなるほど各人の話の内容も徐々に重みを増していく(プレイヤーの価値基準によって怖さの感じ方には差があるが)ため、全体としての盛り上がりも申し分ない。
ただ、それ以上の特徴は、オムニバスという一見散漫になりそうな形式をとっていながら、しっかり不気味な世界観が貫徹されていること。
そして、主人公(=ユーザー)をその世界の中に引きずり込むためのトリッキーな仕掛けが、十全以上に機能していることだ。
6人の語り部たち自身が最大のホラー要素
ではその仕掛けとはなにかというと、物語を語る6人自身のキャラクターだ。
集まった6人、学年も性別もタイプもバラバラな彼らは、けれどある一点においてだけは共通している。
程度と方向性の差こそあれ、一般的な常識を逸脱した―――要するに異常な連中ばかりなのだ。
それも、飛び切りマイナスの方向で。
話始めこそマトモなキャラに見えても、話が核心に迫るごとに、徐々に彼ら自身の異常性が語り口の隙間から見えてくるのだ。
それどころか、話の展開によってはむしろ直接的な行動に出てきたりすることも少なくない。
各回ごとにパラレルワールド方式をとっているために、キャラ付けには話ごとに多少の差はみられるものの、いずれにしても「マトモな相手じゃない」ということだけは明確。
そんな相手に直接対峙するのが、プレイヤーと一体である主人公なのだ。
想像してみてほしい。
何をしてくるかわからない(むしろ危害を加えてくることが容易に想像できる)相手が、よりによって6人も目の前に勢ぞろいしているのだ。
下手な幽霊よりもなによりも、よっぽどそちらの方が具体的だし、恐ろしい。
間接的に話を聞くという方式ながら、本作が差し迫った恐怖感をそなえているのは、この点に尽きる。
語り部ごとに危険性やあからさま加減は様々だけれど、女性キャラの一人、岩下明美は、お嬢様的な雰囲気にも拘らず、既に善悪を超越した病みっぷりや、プレイヤーを巧みに怪談そのものに強引に結び付けていく独特の語り口で突出している。
彼女は元祖ヤンデレとも言われる(実際にはデレはほぼないに等しいのだけれど)キャラクターだけれども、プレイしてみるとそう言われるだけの迫力が実感できるはずだ。
もちろん、それ以外のキャラクターにしても、それぞれに割り振られた性質の範囲で、プレイヤーの精神をがりがりと削ってくる。
幽霊よりも妖怪よりも、一番恐ろしい存在
話の内容そのものは、ぶっちゃけ玉石混交。話数が多いだけにバラエティは豊かだけれど、話の出来不出来の差はかなり大きい。
特に各話中の分岐については、あっけなく終わってしまうものも少なくない(逆に本筋以上に恐ろしい展開になるものもあるが)。
同じ作者が後年発表した某作と違って、こちらはクオリティの低い部類であっても、最低限怪談として成り立つだけの体裁は整っているので、全体としては流れを崩してしまうほどではない。
さらに言えば、前述したとおり本作は語り手自身の異常さによって印象に補正がかかる構造になっているため、そもそも話の内容自体はそこまで重要でもない。
むしろ、ちゃちな話はちゃちな話で、長編以上に語り手の性質が際立つこともあり、その点でメリハリがきちんと効いた内容と言える。
一方で、出来のいい話はというと、これが非常にクオリティが高い。
ただ、一般的な怪談をイメージしていると、少し予想が外れるかもしれない。
本作では確かに無数の幽霊や怪異な存在が出演してくるけれど、根本的なところとして「一番恐ろしいのは人間」という前提があるからだ。
そして、本作で評価の高いシナリオというのは、大体この前提が思い切り前面に出たものが多い。
要するに、「ただでさえアレな語り手によって、人間特有の醜い(ものによっては物悲しい)物語が語られる」という構造になっているのだ。
異常性、ここに極まれり、である。
こうした内容だけに、話そのものの内容はもちろん、表現の面でも不愉快さを敢えて煽る語りになっており、まさに悪意全開。
それだけに、語り部たちと過ごす時間のどんより具合の再現度はきわめて高い。ホラー的な意味で飛びぬけている。
悪意全開だが、共感性を保ったバランスがお見事
ただ、ここまで悪意を押し出した作りながら、コンシューマー版においては、語り手がまったく共感できない存在にはなっていないのが肝。
完全に異常なだけにしてしまうと、それはそれでホラー性は出せるけれど、一方でプレイヤーの入り込む余地はその分少なくなってしまう。
その点、本作の語り部たちは、行動原理的にはまるで理解不能な連中ではあるのだけれど、それでいて一抹の親しみを覚えさせる魅力はしっかり備えているのだ。
非常識なのは確かなのだけれど、その一方で、彼らは彼らなりの独自の価値観を持っている。
それは荒んではいても、一方で思いのほか古典的な倫理観をベースにしており、誰しも思い当たるふしはあるのだ。
だからこそ、彼らの吐き出す言葉には、一定の説得力がある。
プレイヤー自身が持つ痛いところや弱みまでを巧みに突いてくるのだ。
そうした共感が及ぶからこそ本作のホラー性はなじみ深いものとなりえているともいえる。
このバランス感覚は、ハッキリ言って見事の一言。
間口が広いとは言い難い作品だけれど、それでも固定のファン層を根強くつかみ続けている底力の源泉は、多分ここにある。