『学校であった怖い話』はもともと単発作品だけれど、その後バージョンアップ版であるPS版が発売。
さらに、作者の飯島健男氏(改名後は飯島多紀哉名義)が立ち上げたサークル・七転び八転がりにより、同人版として複数のバージョン『アパシー・シリーズ』がリリースされている。
これらのバージョンだが、世界観を共有しながらも、おどろくほどプレイ時の感覚が異なる。その中でも、『アパシー・シリーズ』については、非常に極端な持ち味に仕上がっている。
この記事では、本編のバージョンの違いをざっと洗うとともに、その中でも際立つ『アパシー』の特異さに触れていきたい。
『学校であった怖い話』本編バージョンの違いをおさらい
まず『アパシー・シリーズ』以前の本編バージョンの違いから。
コンシューマー版であるSFC版とPS版で、学怖といえば、基本となるのがこれらだ。
SFC版はWiiUのバーチャルコンソールで、PS版はPS3のゲームアーカイブスで配信されている。
まず仕様的な解説からすると、基本PS版はスーパーファミコン版のアッパーバージョンという位置づけになっている。
PS版での変更点としては、
・語り部の性別選択と、それによる性別を限定したエピソードが大幅に追加
・既存のエピソードに関しても、分岐による新たな展開が大幅に追加
・登場人物の俳優変更・CGなどの総差し替え
・BGM差し替え
といったところだろう。
で、これだけ見ると、単純にPS版の方がよさそうに思える。アッパーバージョンなのだから、仕様だけを見ればそりゃそうである。
まず、シナリオのボリュームの点ではPS版が文句なく圧勝。
さらにPSということもあって、画質も大幅に上がっている。
ただ、本作に限っては、だから進化したかというと単純にそう言いきれないのが難しい所なのだ。
まず、追加分のシナリオや分岐の出来不出来はかなり激しい。
初見のプレイヤーだと、選択次第ではSFC版以上に不出来なものばかりを遊ばされるハメになる可能性もある。
運によるところが大きいけれど、万一こうなってしまうと、さすがに興ざめしてしまうだろう。
また、グラフィックについても全体的に整理された印象になった分、かえってSFC版のいかにもホラー的な気色悪さが消えてしまったのは否めない。
むしろ、新たに導入された動画などは、怖さよりもシュールさの方が先立っている。
高品質だったSFC版のBGMが差し替えになったこともあって、ハッキリ言って雰囲気的な面では、むしろ怖くなくなってしまっているのだ。
システム的にかえってプレイしづらくなった部分もあり(読み返し機能がない、7話目のゲームオーバーがクリア扱いにならず詰まってしまう恐れが高くなっている)、無条件でのアッパーバージョンとは言いづらい。
そうした欠点と引き換えにしてもたくさんの話を読みたいというのなら、PS版を選ぶ価値があるだろう。
純粋に世界観の構築度という点を重視するなら、断然スーパーファミコン版の方に軍配が上がる。
どちらを重視するか次第だが、ホラーとしての味わいを重視するなら、私個人はSFC版を推す。
もっとも、本編のバージョンに関しては、差異こそあれ、基本路線そのものは同じと言っていい。
セルフパロディ作も多数 学怖同人版『アパシー・シリーズ』とは
さて、長くなってしまったが、ここからようやく同人版『アパシー・シリーズ』の話になる。本編作者である飯島氏が自ら立ち上げたサークル「七転び八転がり」による本シリーズの特徴は、ここまで述べてきた「基本路線」そのものを逸脱していること。その特徴は、同人という小規模な、「好きな人しかそもそも手に取らない」世界であることを逆手に取った、徹底的な過激路線だ。一般のコンシューマはおろか、PCでも公式なレーベルソフトとしては不可能な表現をこれでもかと放り込んでいる。
ただ、先に書いておくと、このシリーズ、世界観的に明らかにセルフパロディとでもいうべき、作風が異なる作品も多い。同人版では『アパシー・シリーズ』と銘打って新たに世界観を設定した上で、本家との関わりが薄いものも含めて複数作が出されている。そして、本シリーズは直接学怖に関わる作品についても、内容云々以前にコンセプトの方向性自体が大きく異なる作品が多いのだ。
たとえば、ゲーム的な規模ではかなり大きい『恵美ちゃんの殺人クラブ観察日記』(『アパシー・ミッドナイト・コレクションVol.1』収録)などは、ホラーというよりはスラップスティック要素の強いスプラッタノベルと言った方がしっくりくる内容。
『恋い話』に至っては、タイトルからしていうまでもないが、キャラクターと基本設定だけは流用した、恋愛シミュレーションである。そのそれぞれのジャンルで前述したとおり相当過激な表現を決行しているというわけなのだけど、これらの別コンセプトの作品はシリーズ本来のホラーからはかなり離れてしまっていると言っていい。
そんなラインアップの中で、本家に近いシステムと世界観を持つ作品というと、『ビジュアルノベルバージョン(通称VNV版)』『学校であった怖い話1995 特別編』の2作だろう。
明確に『学怖』のホラー系統を継承したと思われるため、以下ではこの2作品について触れていく。
学怖小説版がベースの『VNV』『特別編』概要
この2作はいずれもSFC発売当時に書籍として出版された小説版をベースとしたもの。
違いは、原則として小説版どおりの一本道であるVNV版に対し、特別編の方は分岐による新たな物語が大幅に追加されていること(その一方で、VNV版(=小説版)の最終章に当たる話は特別編ではカットされている)。
単純にボリューム的なコストパフォーマンスでは特別編の方が明らかに上だが、絵柄の違いにくわえ、むしろ分岐によって話の統一性が削がれている部分はあるので、そのあたりを考慮して選ぶといい。
特に、小説の肝心かなめである最終章の有無は大きいだろう。
なお、以上の違いとは別に、VNVには新装版、特別編には追加バッチが存在する。
VNVの新装版はBGMなどが総差し替え、グラフィック追加、小説版以外のシナリオが追加。ただ、SFCのBGMを使用していた旧版の方が、追加要素を差っ引いても好みというユーザーは多いかもしれない。
特別版のバッチについては、素のままでプレイするよりも格段に内容が増大するので、特別版を選ぶのであれば必須と言っていいだろう。
見た目的に一番わかりやすい差異が、実写ベースだったコンシューマー版と違って、キャラクター表現が「絵」になったことだろう。
これは想像以上に差が大きく、雰囲気が大幅に変わっている。実写ならではの生々しさがなく、PS版以上にCGそのものの恐怖感は薄れている。これは絵である以上は仕方がないけれど、どうしても現実性が薄れてしまうのは否めないだろう。
一方で、イラストならではの人懐っこさが出ているのは魅力。
特に、同人版の初期でイラストレーターの芳ゐ氏(現・芳井波氏)が描いた語り部たちは、それぞれが浮かべる嫌らしい表情までをよく再現している。
イラストという点を割り切ってしまえば、クオリティそのものは非常に高いと言っていいだろう。
ここには不快さと過激さしかない。『アパシーVNV』『特別編』の世界
ただ、ヴィジュアル面以上に、異なるのが内容面である。まだ怪談としての情緒などを保っていた本編と違い、キャラクターの性格にせよ語られる怪談にせよ、不快感を見せつけることに徹しているところにある。
もちろん、不快感を敢えて出す手法は、コンシューマー版でも見られる本シリーズの特徴ではあるが、こちらはむしろ「それだけ」なのだ。
特にそれがわかりやすいのが、語り部たち6人のキャラ設定。まだ共感を覚える点もあったコンシューマー版と違い、こちらは語り部全員が、徹底的に不愉快な「生涯を通して絶対に関わりたくない」キャラと化している。
もちろん、話の内容もえげつなさ一色。
そもそも元となった小説版自体がコンシューマーでは規制によって書けなかった内容を抽出したものなので、設定やシナリオの凶悪さについては全バージョンを通しても飛びぬけている。
そこに『アパシー』になってからの特徴である表現としての過激さが加わるとどうなるかというと…結果はご想像のとおり。
こうした内容だけに、もともと間口が広いとは言えなかった本シリーズを基準にしても、さらに向き不向きが露骨に出る作品になっている。
一言で言うと、ひたすら悪趣味なのだ。
グロテスクさが本家とは比較にならないほどに上がっており、これはさすがに同人としてしか出せないはずだ。
ホラーとしては微妙だが、本来の意味で「嫌」な世界
その一方で、コンシューマーでの不気味さや、独特の郷愁などは少ない。そもそもキャラに思い入れを持てるような、まっとうな内容ではない。
結果的に、ひたすらドライかつブラックな物語に仕上がっているため、和製ホラー特有の湿った空気感などが薄くなっており、純粋な怖さという点ではむしろ低い。
怪談ホラーとしてのトラディッショナルさを求めるなら手出し無用である。
もっとも、この作りは、製作者側も理解した上での確信犯だろう。
その証拠に、ホラーとしてはともかく、こうした異常そのものの世界観をこそ楽しむという視点に立つなら、本作の作りこみは非常にしっかりしているためだ。
ひたすら神経を逆なでする、本当の意味で「嫌な」世界。
そうした部分に惹かれるなら一読の価値はあるだろう。