女神転生、プリクラ・・・ゲーム会社アトラスの紆余曲折の歴史を振り返る

2014年4月1日、ゲーム会社大手のセガが、かねて事業承継していた連結子会社である株式会社インデックスを2社に分割しました。

具体的には、ゲーム事業に特化した「株式会社アトラス」、その他の広告事業やコンテンツ配信事業などを担う「株式会社インデックス」という形。紆余曲折がありましたが、旧インデックス社に吸収されて以降、ブランド名のみの存在になっていた「アトラス」がこの時会社法人として復活したことになります。

この記事では、そんなアトラスの歴史をこの機会に振り返ってみたいと思います。

ファミコン下請けからブレイクまで

旧株式会社アトラスは、1986年設立の開発会社でした。開発会社時代には、大手ゲームメーカーの下請けとして、「キングオブキングス」(ナムコ)や、「バイオ戦士DAN」(ジャレコ)といった、現在でもレトロゲーム好きの間では話題になる作品を地道にリリースしていきます。なお、自社名義での発売は、89年の「パズルボーイ」からです。

この時期のアトラスの作品は、例外はあるものの、地味ながらゲームとしての完成度は高く、かつ妙なこだわりが感じられる作風の作品が多い傾向にありました。「バイオ戦士DAN」などはこだわりが変な方向に行きすぎて当初は奇ゲー扱いされたりもしましたが、現在はおおむね高い評価を得ています。こうしたこだわりをみると、この時期からのちのアトラスというメーカーの特性の萌芽を感じさせます。

ゲーム会社としてアトラスのイメージを決定づけたのは、この時期に前後して開発した「女神転生」シリーズです。

87年にナムコから発売した「女神転生」、続けて90年の「女神転生Ⅱ」をリリース。同名小説のゲーム化だった1作目と異なり、Ⅱでは、オカルト・宗教色が極端に強まり、当時のゲーム誌では「異様なゲーム」としてマニアックながら一定の評価を得ました。

その余勢を買って、「真・女神転生」をスーパーファミコンの参入一作目として発売。これはⅡをさらにコアなシナリオとシステムにしたような作品で、後続の作品への影響も非常に大きいものとなりました。

メジャー路線への模索と成功

この後しばらくは、女神転生シリーズと、そこから派生したペルソナデビルサマナーの各シリーズを主軸としながら活動していくことになります。

このころのアトラスのイメージは、上記のシリーズの特徴がそのまま当てはまる、ゴリゴリのマニアックメーカーと言うものでした。

そのため、アトラス側もイメージの脱却を狙っていたふしはあり、特にペルソナシリーズはいわゆる学園ものと、その狙いが顕著に出た作品となりました。ただ、一作目については本家シリーズさえ上回る難易度で、旧来のファンでさえ投げた人が多かったようですが。

一方、マニアックなイメージとは裏腹に、95年にはプリント倶楽部(プリクラ)をリリースします。これはアトラスにとってはじめてと言っていい、一般層にも広くアピールするヒットとなり、結果、97年には上場を果たします。

インデックス傘下へのいきさつとメジャー化

ゲーム事業の方は、このころから他社開発作品の発売など、作品ラインの拡大が見られます。一方で、このころから従来の女神転生などのシリーズ作品のリリースが極めて散発的になっていきます(製作期間自体の長期化もあるでしょう)。

2003年にはタカラと業務提携しますが、2006年にタカラ(当時タカラトミー)が当時アニメなどのコンテンツ業界を中心にTOBを仕掛けていたベンチャー企業、旧株式会社インデックスからのTOBを受け入れます。これによって、アトラスは旧インデックスの子会社となりました。

ちなみに、旧インデックスはこの当時実用書を中心とした出版などを広く手掛けており、買収の手腕などから、ベンチャーの中では別格という評価もありました。

その後も作品面では「世界樹の迷宮」などの新シリーズも含めたリリースを続けます。ペルソナシリーズもこの頃大きくイメージを変化させており、かなりお洒落な出来となっています。

旧来のマニアックな作風を求めたファンからは批判も多かったものの、メジャーな作風への試行錯誤は実を結んできたと言えるでしょう。もっとも、そうした地力を見抜いたからこそ、旧インデックスが注目したのかもしれません。

衰退・吸収から引き取られるまでのゴタゴタ

ただ、一方でこのころから、不景気な話が散発的にみられるようになります。

2009年にはプリクラなどのゲームセンター系の事業から全面撤退、直接運営していたゲームセンターも他社に譲渡しています。あれほど一世を風靡したプリクラも、今となってはプリント機専門のお店にさえ置かれていません。機材の修理サポートも終了してしまっているため、お目にかかるのはほとんど不可能でしょう(一部では、稼働しているのを見かけたとの噂もありますが、噂の域を出ません)。

コンシューマゲームの方は、相変わらず安定した本数が出ていましたが、2010年に旧インデックスに吸収され、会社としては消滅しました。内部事情は分かりませんが、業務効率化などの事情でしょうか。この際ブランド名だけは残ることになりました。

ただ、問題は吸収先の旧インデックスも赤字続きだったことです。

2013年初頭には債務超過。この時期、旧インデックスはビジネス誌の、つぶれそうな企業ランキングといった記事の上位にランクされる事態に陥ります。そして、トドメの粉飾決算が発覚。それから1か月を待たずに、旧インデックスは上場廃止、民事再生となってしまいました。

この直前直後もアトラスのリリースは続いており、旧インデックスも事業譲渡先を募集することになります。結果、承継先はセガに決まり、受け入れ会社を「インデックス」としてアトラスブランドを含め、インデックスの事業をほぼ丸々継承しました。(ちなみに旧インデックスは2016年に破産手続きを終え、既に法人として消滅しています)。

異例の復活は、個性の強さゆえ

ということで、紆余曲折の歴史をたどってきたアトラスですが、合併が続くゲーム業界の情勢を考えると、極めて異例のことです。

内部事情は分かりませんが、アトラスと言うブランドの知名度や事業特性を勘案したうえでの判断だったのでしょう。実際、「インデックス」関係者には申し訳ないですが、ゲームに関して言えば圧倒的に「アトラス」の方が名前が通ってますから。

では、何故名前が通っているかを考えてみると、それはひとえにブランドとしての個性の強さ故でしょう。

ゲームメーカーとしてアトラスを見ると、難易度の高さなどから一見にはかなり厳しめの作品が多いです。シナリオ的にもハードめの作品が目立ちますし、また、初期作品については致命的なバグでも知られます。

つまり、かなり世界観にハマれなければつらいですし、やりこみプレイが前提なだけに気楽に楽しむといった類の作品ではありません。

一方で、前述のとおり、初期から現在に至るまでに作風はかなり変化し、メジャー化が進んでいます。ただ、難易度は相変わらずで、時折顔を出すシビアなシナリオも同様。

ある意味、難易度だけに限らず、商売的な意味でも、かなりバランスが悪いメーカーと言えます。

ですが、このバランスの極端さこそが、このブランドの個性になっています。称賛批判ともに激しいメーカーですが、だからこそ名前を復活させる意味があったと言えるのではないでしょうか。

それだけに、セガの子会社としてどのような方向に進んでいくのか、注目されます。個人的には、どういう方向に進むにせよ、わざわざ社名が復活するだけのアクの強さだけは失わないで欲しいと切に希望したいと思います。

タイトルとURLをコピーしました