勉強に対してやる気が出ない。
こういう場合、まず一番ガンになるのが、「今やってる勉強に意味があると思えない」ことです。
勉強なんてほとんどの人にとっては知識の詰め込みに他なりませんから、それ自体は面白いわけがありません。そこに加えて意味まで見いだせないとなると、やる気が失せないほうがおかしい。
そこで処方箋としてよく言われるのが、目標意識をちゃんと持とう!という話ですが、そもそも今のご時世、これが難しい。なんせ勉強するだけで将来安泰なんて時代はとっくに終わってますから、わかりやすいメリットがないのです。
とはいえ、勉強自体はやらざるを得ない。
そういう場合の考え方として、「意味なんて最初から求めない」という方法があります。
その勉強は絶対に必要なものなのか?
まず、大前提として、その勉強が状況的に「絶対にやらなければならないものなのか」を確認します。
自分次第でやらなくてもいいような勉強なら、そもそもやる気がでるまで放置すればいいだけの話です。
問題は、それでもやらざるを得ない場合。
サラリーマンなら上司に特定の資格を取るようせっつかれていて、拒否しようものなら査定に響くとか。
受験生ならば親が絶対的な教育ママで、受験を拒否したら家庭崩壊の危機だとか。
言葉にすると正直悲しくなることもあるでしょうが、ここは諦めて「勉強せざるを得ない理由」を洗い出します。もちろん、それを回避する手段がある(説得次第ではなんとか別の選択肢があるなど)場合は、それも考慮した上で、
「自分は今、この勉強を絶対にせざるを得ないのか、それともしなくてもなんとかなるのか」
を突き詰めて下さい。ここが曖昧だと、無理に続けてもどこかで絶対にヘタります。
勉強を「仕事」と考えれば踏ん切りがつく
さて、色々考えた結果、いかに意味がなさそうにみえても勉強せざるを得ない…そういう結論が出た場合。
この場合、まず、何を覚えればいいのか、理解しなければいいのかを、リストアップします。
その上で、勉強をひとつの「仕事」として考えてしまうのです。
「仕事」にも「勉強」にも意味などない。だからこそ始められる
それで何が変わるのか。
ハッキリ断っておくと、いかに仕事として考えてみたところで、面倒くささがなくなるわけではありません。ましてや、勉強の場合仕事と違って、お金という直接的な報酬もありません。
ただ、勉強の意味なんてものに目が行ってしまうタイプは、もともと自分の思考にとらわれがちです。結果、その思考をただ繰り返すことになりがちなのですが、それは同じところをグルグル回っているだけです。
そして、それを続ける限りは永遠に勉強に取り掛かることはできません。
どこかで踏ん切りをつける必要があります。
そこで、思考を強引に切り替えて、無理矢理にでも第一歩を踏み出してしまうのです。仕事というのは、「つまらなかろうが自分にとって意味がなかろうが、やらざるをえないもの」です。その一つと考えてしまえば、多少は抵抗が薄れるはずです。コーヒーなりお菓子なり、自分のお気に入りのおつまみなりを用意した上で、まずは「仕事の席に着く」ことを目標にしましょう。
勉強を習慣化するには、モノを考えてはいけない
さて、とにかくも始めることができた。それだけでも大きな進歩です。
ただ、重要なのがここから。その上で誰にでも共通して言えることは、まず「勉強する」という行為を習慣化してしまうことです。
勉強だけでなく、退屈に感じる全般に言えることですが、この手のものというのは最初が一番キツイ。
これらが長続きしないのは、習慣になる前に諦めてしまうというのが最大の原因です。
逆に言えば、一旦日々の習慣になるまで続けてしまえば、意外に苦にならなくなってきます。
個人差はありますが、一般に、ひとつの行動が習慣化されるまでは、おおむね20日前後と言われています。まずは、そこまで耐えきることを次の目標にしましょう。とにかく、毎日、時間を決めて机に向かい続ける。机に向かうのが抵抗があるなら、寝っ転がって参考書を開くというスタイルでも構いません。とにかく勉強するという行為を続けることだけを考えるのです。アホくさくなるかもしれませんし、頭の中で「無意味だろ、こんな勉強」というささやきが聞こえてくることでしょう。
それでも続ける。深く考えてはいけません。この期間にいろいろ思考を巡らせるのは、害にしかなりません。続けられればそれだけでも大したものですし、気が付けばだんだん参考書のページを開かないとかえって落ち着かなくなってきます。
こうなればしめたものですし、そこまで達することができれば、勉強の意味なんて考えなくなっていることでしょう。
ここまでくれば、あとはロボットのように、ただただひたすら、覚えるべきことを覚え、解き方を理解していく。
それを、試験合格なり何なりの水準に達すまで続けていければ、それで勝ちです。
悩むくらいなら、さっさと勉強してしまった方がマシ
ロボットのように、というと、抵抗感を感じる人もいると思います。
断っておくと、筆者自身、こういう考え方を無条件で肯定しているわけではありません。
勉強なんて、本来はやりたい奴がやるものであって、やりたくもないのにやるというようなものではありません。
その点でいえば、「やりたくないのにやらざるを得ない」今の世の中ってどうなんだろうとは思います。
生涯勉強とか、好き勝手言ってんじゃねえよ、という感じ。
ただ、それでもやらざるを得ないというのなら、ダラダラ悩み続けていても仕方がありません。
このご時世で、しなければならない勉強に対して「意味があるのか」と始める前から悩むという行為は、仕事でいえば永遠にタスクが終わらないという最悪の状況に他なりません。
そして、そのタスクはどんなに後回しにしても、面倒くさいことには変わりないのです。
それなら、さっさとはじめて、さっさと足抜けするつもりで動いてしまう方が、精神衛生上もまだマシなはずです。
そう、勉強はつまらないのです。凡人には意味なんてとても見いだせないほどに。
一部の天才を除けば、勉強の意味や面白みなんてやってるうちにはじめてわかってくる「かもしれない」程度のものにすぎません。
だからこそ、そのうちそういう感覚が味わえればラッキー、くらいに割り切って手を付ける。
無理矢理にでもスタートを切ってしまえば、それだけでもそれまでドンヨリしていた目の前が大きく開けてくるかもしれません。(K.Y)