ドラえもんを見るまでもなく、藤子・F・不二雄という漫画家を語るうえで、タイムトラベルという題材が作劇の上でひとつの大きなテーマになっていたことは間違いないでしょう。
そこに通底して見られるのは、「あの時ああしていればよかった」「こうしていれば別の未来があったかもしれない」という後悔です。
それだけに、過去さえ改変できるなら、今はもっといい状態の自分になれるのではないか、という。
F氏はよほど思い入れがあったのか、そんなモチーフを様々なバリエーションで何度も何度も描いてきました。
ただ、F氏自身が過去の改変という現象をそんなに万能なものと考えていたかというと、そこには少し疑問が残ります。
というのは、それだけでは素直にハッピーエンドにならないパターンが多すぎるからです。
改変できたとしても事態は大して変わらなかったり、あるいは改変そのものに大きな制約が課せられていたりと、とても「過去変えればいいんだからラクショーだよねぇ」みたいなノリではありません。
だいたい、代表格であるドラえもんからして、タイムマシンだけでは何の役にもたたない話なんていくらでもあるわけで(…まあ、それを許したら話の展開が成り立たないってのもあるとは思いますが)。
違った選択肢を選んだ自分が集う 『パラレル同窓会』あらすじ
さて、そんな中、タイムトラベルものとは少し違った形で過去の改変を描いたユニークな作品が「パラレル同窓会」です。
タイトルの「パラレル同窓会」というのが何なのかというと、これまでの人生の中で、可能性として「そうなっていたかもしれない」様々な自分が、一生に一度、一同に会すというもの。
人生には様々な選択を迫られる機会がありますが、そのたびに世界が分岐して複数の並行世界が生まれているという発想が元になっています。
そのそれぞれの世界には、当然、「選択肢の選び方によってはあり得た、見知らぬ自分」がいる。
そんな彼らに出会い、交流し、必要によっては「人生の交換」も可能…そんな機会なのです。
主人公の高根望彦にも、50台にしてその同窓会がやってきます。
彼は勤務していた極東物産で社長にまで上り詰めた、いわば勝ち組ですが、その一方でどことなく欠落感を抱えていました。
社長になるまでの過程でも、恋人を諦めたり、作家の夢を諦めたりと、捨てるものはざっくり捨て去る人生を送ってきたのです。
そんな彼の前に突然、パラレルワールドの「高根望彦」が現れます。幹事を務めるという彼に導かれて、出席した同窓会には、様々な人生を辿った別人格としての「高根望彦」がいました。
主人公とは逆に、恋人を諦めずに会社を追われた者、うだつがあがらないままくすぶっている者、犯罪者になってしまった者…
その中には、と違って作家の夢を諦めず、食うや食わずやの生活をしているという者もいました。
彼の話を聞いて素晴らしいと思ってしまった主人公は、彼との人生の交換を申し出るのですが…
単刀直入な結論が物語るものとは
SF作品の中では発想の面白さで勝負するタイプの作品で、シナリオ構成としてもシンプル。
特に派手な展開などもありません。
その代わり、結論は非常にわかりやすい。
それは、たとえどんな選択をしようが、ただ素晴らしいだけの満たされた人生なんてハナから存在しないという身もふたもない結論です。
選択によって負わなければならない苦労が、どのようなものかという違いだけで。
ただ、多少の皮肉は効いているものの、読後感は悪くありません。
逆説的ではありますが、現在進行中の人生を「意外にそんな言うほど悪いもんでもないかもよ」と言ってくれているようなラストだからです。
過去の改変はもちろん、人生を今現在から変えることなんて大半の読者にとっては現実味がありません。
そういう立場を前提としてみると、それはある意味で人生にとって最大限の肯定と言えます。
ラストの世知辛さにもかかわらず、さわやかな希望が胸に残る、明るい異色作と言えます。