2000年代になって突然、江戸川乱歩や夢野久作のコミック化で
注目を浴びたのが、グロテスクな作風で
80年代アングラ漫画の世界を一世風靡した丸尾末広氏です。
この漫画化は元々コミックビーム(エンターブレイン・当時)が仕掛けた企画でしたが、
これがいい意味で見事にハマった。
注目されるどころか、漫画賞まで受賞されるもてはやされぶりになってしまいました。
ただ、その様子は、以前の氏の作品を知る読者にとっては
目を疑う光景でもあったのです。
あのとっつきにくいアングラ作品ばかりを
連発していた丸尾氏が、よりによって漫画賞…
そんな極端な敷居の高さで知られる丸尾氏のオリジナル作品の中から、
「丸尾初心者でも比較的なじみやすい」作品を
いくつかセレクトしてみようというのが、本稿の主旨です。
念のため繰り返しますが、あくまでも「比較的」です。
漫画賞受賞が信じられない、80~90年代の丸尾氏の作品イメージ
本題に入る前に、漫画賞受賞当時の筆者の感じたことを引き合いに出しつつ、
初期の丸尾氏の作風について語っておこうと思います。
コミックビームによる漫画化が話題になった時点で、
わたしも含めたファンの反応は、
概ね「ドハマりじゃん」というものだったように思います。
江戸川乱歩は明智小五郎を主役とした探偵小説とともに、変態的な欲望や犯罪的な願望を
そのまま文学化したかのごとき怪作で知られる作家ですし(コミック化されたのはモロに後者)、
夢野久作は「ドグラ・マグラ」を中心に猟奇的、あるいは異端的な怪作を多数遺した作家で、
話を聞いた段階で丸尾末広とは相性がよさそうな企画ではありました。
実際、漫画化されたひとつ、夢野久作の『瓶詰の地獄』、
ぶっつり切れるオチの表現の巧さともに、作中に漂う強烈な背徳感は
その時点で丸尾氏の作風と強烈に通じるものがありますし、
江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』については言わずもがな。
漫画化するとしたら確かに、丸尾氏ほどぴったりくる人選はないでしょう。
ですが、そこまで分かっていても、
丸尾氏と漫画賞という単語のイメージが頭の中でどうしても合致しなかった。
新聞にそれらの本の書評が掲載されるに至っては、あり得ないとさえ思いました。
ご本人には失礼な書き方になってしまいますが、
それほどまでに、健全な世界からの評価とは縁遠いイメージが
丸尾氏の作品にはあったのです。
何しろ、初期の殆どの作品は、
それこそほぼ全作、目を覆わんばかりの残酷行為と変態描写の見本市状態。
しかも、ストーリー性は限りなく薄く、
読んでいる方としては、
文字通り地獄のようなイメージをそのまま具現化したような光景を
読むというよりも見せつけられているような感覚に陥ります。
もちろん、そうした極度のアングラさこそが魅力なのは事実ですが、
同時に、大多数の普通の読者にとってはあまりにも敷居が高かった。
そんな、
「ごく限られた読者のみが秘かに愉しむ、読んでいることさえ公にするのがはばかられる」
というのが、初期の丸尾氏の作品に共通する特徴だったのです。
そんな、極端に読み手を選ぶ丸尾氏の作品の中から、
敢えて初心者向けを選ぶとするなら、
どういう基準で選べばいいか。
以下、本稿では、
丸尾作品特有の毒々しさに満ち溢れていながら、
彼の作品にしてはストーリー性がしっかりしていたり、
残酷度が比較的薄めだったりといった観点からセレクトしてみました。
やはり、そのあたりが丸尾作品では一番の関門だと思いますし。
もちろん、初心者向けとはいうものの、
アングラ系の表現に対して最低限の免疫がないのであれば、
手だし無用な作品たちであることはいうまでもありません。
初心者でもなじみやすい(かも?)丸尾末広作品セレクション
犬神博士
まず、比較的近年(とは言っても90年代ですが)に
描かれたこの作品。
ヤングチャンピオン(秋田書店)に連載された作品で、単行本も同社より全1巻。
掲載誌からして丸尾氏としては珍しいヤング誌です。
式神を使役する呪い屋の老人を主役とした連作で、
ジャンル的にはなんと伝奇アクション。
雰囲気や展開的には、いわゆるダークヒーローものを想像すると
近いでしょう。
掲載誌の性質もあってか、
丸尾氏の作品としては異例なほどストーリー性が強調されており
(それでも他の同誌の連載作に比べればかなり設定は読み取りづらいですが)、
なじみやすさではこれが一番でしょう。
コンセプト的に丸尾氏の基本的な作風とはかなり距離を置いた作品ですが、
それでいて、作品世界全体に漂う後ろ暗いムードや
レトロな空気感など、丸尾作品には欠かせない要素は
そこそこ押さえており、入門編としてはかなりお勧めです。
単行本ラストの余韻もなかなかのもの。
ただし、残酷描写は量的・内容的には丸尾氏にしてはかなり控えめながら含まれており、
第1話からショッキングな絵がいきなりドン!です。
慣れていない方はこのレベルでもかなりの覚悟をしてから
読み始めることをお勧めします。
少女椿
ある意味では異色作と言える『犬神博士』とは対照的に、
こちらの『少女椿』は、文句なく丸尾氏の初期の代表作と言える一品。
おそらく、氏のオリジナル作品としては、
知名度もトップクラスでしょう。
恐るべきことに、過去にはアニメ化さえされています。
お話は、場末の見世物小屋に売られてしまった
少女、みどりちゃんのかわいそうな暮らしとその顛末を描いたもの。
内容上、倫理的にアウトな描写も含むものの、
お話としては(例によってシュールながら)筋の流れもつかみやすいですし、
多少グロテスクな程度で、残酷な表現も極めて少ない(ないわけではないです)。
犬神博士とはまた違った意味でなじみやすいです。
何より、本編全編にわたって漂う哀愁が素晴らしい。
特に終盤、みどりちゃんが見る、
小屋を抜け出して実家に帰宅する幻想は、
描写の細やかさもあって読者の郷愁まで呼び起こし、
思わず涙ぐみそうになります。
丸尾末広氏の作品では唯一無二の、
涙腺を刺激される作品と言えるでしょう。
僕の少年時代
短編で、単行本では『DDT~僕、耳なし芳一です』(青林工藝舎)所載。
本短編だけを見るなら、ここで挙げた中でも
直接的な残酷描写がまったく含まれない、唯一といっていい作品です。
ただし、本作が収録されている単行本『DDT』は、
本作以外はむしろ残酷描写が際立ったラインアップなので、
それらを避けるのであれば、なかなか読む機会はないでしょう。
運よく本作単体で読む機会があればどうぞといった感じです。
内容的にはストーリー性は皆無で、
シュールなイラストにシュールな散文詩が乗ったコマが
ラストページを除いて1ページに2コマずつ、ちりばめられた構成。
この手の作品になじみがない方だとあっけにとられることと思いますが、
最初からそういう作品だと思って臨めば、
意外とスッと入り込みやすいです。
ただし、その散文詩とイラストのイメージが持つ
負のパワーがすさまじい。
抽象的な作品だけに何を読み取るかは個人差がありますが、
いずれにせよ、一気に思考をダウナーな方向に引き釣り込むこと必至です。
筆者の場合、人生の取り返しのつかなさだとか、
そういったイメージを抱きましたが、
はじめて読んでから数ヶ月の間、
本気で落ち込みっぱなしになった痛い思い出があります。
見た目の残酷さではなく、
精神面にクる作品と言えるでしょう。
その点から言えば、並みの丸尾作品以上に
危険な一作と言えるかもしれません。
無抵抗都市
最後に挙げるのは、
この中ではかなり初期丸尾作品のテイストに近い中編『無抵抗都市』。
90年代初頭に『ガロ』に掲載された作品で、
単行本としては『月的愛人(ルナティック・ラバーズ)』(青林工藝舎)に収録されています。
前項の『僕の少年時代』とは逆に、
ストーリー性が高く筋がつかみやすい反面、
初見の方はドン引き確実の残酷表現を含みます。
それでも初期短編よりは相当マシな部類なのですが、
ここまでで挙げてきた作品に比べるとかなりハードルは高め。
順番的には、上記の作品で飽き足らなくなったら
手を出すくらいで考えていただくといいでしょう。
お話は、敗戦後すぐの日本で、外地から帰ってこない夫を待ちながら
窮乏生活を送る母子を待つ悲惨な運命を描いたもの。
前述の通り、話は分かりやすいものの、
途中経過はもちろん、結末に至るまで
鳥肌がたつほどのおぞましさを持って、
「敗者の無残」が描き出されて行きます。
明らかに一線を越えた作品なのですが、
それは丸尾氏の作品ではむしろ当たり前。
むしろこの、徹底的に心や良識を逆なでする感覚こそが
丸尾末広氏の神髄なのも事実なのです。
それが分かりやすい形で味わえるという意味では
非常に貴重な一作と言えます。
残酷な世界にかすかに見える、ひとかけらの安らぎ
以上、数は少ないですが、丸尾氏の入門編と言える作品をまとめてきました。
その過激さゆえか、パンクバンド「スターリン」とのコラボでも知られる丸尾氏ですが、
アナーキーさでいえば当時の丸尾氏に匹敵する作家は
そうそう出てこないでしょう。
80年代~90年代のサブカルチャーを語るうえで、
そんな氏の作品は、アングラではありながら
無視することのできない存在感を現在でも放っています。
率先してお勧めするわけにはいかない作風ですが、
『パノラマ島奇譚』などで興味を持たれた方は、
よかったらここから氏の世界に親しんでみてはいかがでしょうか。
なお、さんざん文中で恐ろし気に描いた初期短編ですが、
本稿で挙げた作品がかわいく思えるほどの残酷かつ許されない表現がてんこ盛りな反面、
猟奇も通り越すとシュールになるというか、
アナーキーも行き過ぎるとギャグになるというか、
過激をつきつめすぎて一周した挙句に
変なアンビエント的ともいうべきノリが
生み出されているのも特徴です。
そのため、ある意味では人懐っこい面もあります
(その人懐っこさ自体がアンバランスで、相当気色が悪いのですが)。
そこに昭和レトロそのものなセンスがぶち込まれた作中世界は、
忌まわしさ・けがらわしさに満ちながら、
何故か奇妙ななつかしさを、かすかにですが垣間見せます。
人によっては吐き気を催すだろう、丸尾氏の作品。
ですが、それは同時に、
他ではまず見ることのできない、
残酷さとほんのわずかの、ひとかけら程度の安らぎが同居する、
不思議な異世界でもあるのです。