ヒット作家でありながら、未見の読者に作品のジャンルを誤解されがちな作家というのは数多い。
京極夏彦氏はその最たる作家だろう。
代表作である『妖怪シリーズ』、通称京極堂シリーズは特にその傾向が強い。
タイトルや概要を見ただけでは、作品がどういうジャンルに属するのかさえつかみづらいためだ。
ミステリというより伝奇小説 京極夏彦『妖怪シリーズ』
一見の印象だけを見ると探偵小説か、もしくは妖怪を主題とした怪奇小説と思われがちな本シリーズだが、その内実は、敢えて言うなら伝奇小説に近い。
とはいっても、完全に現実を離れたファンタジーの世界ではない。
扱われるのは戦後すぐの時代を舞台とした殺人事件で、雰囲気的には横溝正史の世界観に近い。
タイトルに提示される妖怪も実際には一切登場しない。どちらかというと、謎解きの過程で主人公である神主、中善寺夏彦が提示する心理理論のモチーフとして扱われるに過ぎない。
要するに、少々奇抜ではあるものの、体裁としてはあくまでも犯罪物語なのだ。
ただ、事件物ではあるけれど、いわゆる本格推理とは明らかに違うのは、各事件の真相の部分だ。
確かに完全な空想レベルではないものの、今現在でも実用化されていない技術、あるいは実現可能性が極めて低いトリックが用いられており、この時点でパズル小説としての意味をなしていない。
現実に即しているようで、実は即していないのだ。
ただ、その一方でエンターテインメントとして割り切れば、物語づくりは一流。各キャラクターも極めて立っており、ある意味ではライトノベル的とさえいえる。
それでいて、作品の特徴である中善寺の長い長い講釈は哲学など学問的な要素を多分に踏まえたもので、理論そのものへの賛否はともかくとして、思索性も深い。
それに加えて、トリック以上に登場人物の心理状態に重きが置かれる展開がほとんどを占めるため、そもそも非現実性があまり気にならない。読み味が重厚なのだ。
物語そのものが非常に陰惨なこともあって、読後感としては下手な探偵小説以上に探偵ものっぽいという、不思議な物語に仕上がっている。
出世作にして凶暴さも突出した問題作『魍魎の匣』
そうしたシリーズ作品の中でも、著者の出世作であり、またシリーズ全体を通しての代表作となっているのが、第二作である『魍魎の匣』だ。
一作目が持ち込みをそのまま単行本化されたものなので、シリーズ化を前提として書かれた初の作品でもある。
それだけに、一作目ではあまり踏み込まれなかった各キャラクターの内面も詳細に描かれ、娯楽小説としての本領が発揮され始めた巻と言える。
ただ、代表作という点からはあまり想像しづらいが、本作は実は、シリーズでも屈指のえげつなさを誇る作品でもある。
ひとりの女子中学生の線路転落事故から始まるこの物語は、出だしこそ彼女と同級生の運命的な出会いを描き、むしろ青春物語かと思わせる印象だ。
そんな爽やかさを、本作は当時多発していたバラバラ殺人事件を絡めながらどす黒く塗りつぶしていく。
本作で白眉なのが、章の切れ目ごとに挿入される架空の作中小説、『匣の中の娘』だ。
極度の隙間恐怖症を抱えた主人公の語りで進行するこの作中小説は、まるで幻想のような描写で読者をいきなり引き込むものの、同時に序盤からネジの外れた不穏な雰囲気をひたひたと読者に刷り込んでくる。
けれど、どこか調子の狂った不安定な文章に不安を感じているうちは、まだ序の口。
この一編の小品がその本性を剥きだしたとき、『魍魎の匣』という物語全体も、その凶暴さをあらわにしていく。
その陰惨さは、もはや正視に堪えないほど。
その分、物語の展開としての連動性と爆発性は凄まじい。
初期作ゆえの、持ち味の純度の高さ
全体を通して厭世的な色合いが強い作品であり、インモラルといえばこれほどインモラルな話もない。
それだけに好みはハッキリと分かれる作品だし、実際ファンの間でさえ評価は大きく食い違っている。
ただ、ある意味でまとまりの良くなった後期作品とは違い、ここには初期作品ゆえの、徹底した容赦のなさがある。
作者の主張やシリーズとしての色合い…いわば、シリーズとしての持ち味が、一番はっきり表れているのだ。
グロテスクな作品に耐えられるなら、という注釈はつくものの、本シリーズに興味を持ったなら、避けては通れない逸品である。