私の住んでいるあたりはここ数日は温度が比較的あたたかく、何枚も着込んで雪だるまのように着ぶくれした状態からようやく解放されました。まだ寒いのは確かなのですが、じわじわ春が近づいてきたな、という感じはします。
さて、この時期よく使われる言葉が「三寒四温」です。手紙などでは定番の挨拶なのですが、実は本来、この時期の言葉ではなかったりします。
ただ、だからといって使ってはいけないわけではありません。ここでは、三寒四温の元の意味と、現代での使われ方を見ていきます。
三寒四温の本来の意味
三寒四温とは、本来はどんな意味なのでしょうか。これは、
寒い日三日間→暖かい日四日間→寒い日三日間(以下続く)…
といった感じで、寒くなったり暖かくなったりが繰り返される現象のことです。シベリア高気圧が、概ね7日周期で勢力を変える傾向があるために起こります。
この現象は、シベリア高気圧の影響を受けやすい朝鮮半島や中国で冬場にみられるもので、三寒四温という単語自体もこの地方を起源としています。つまり、この段階では三寒四温ははっきりと冬場の言葉だったのです。
ところが、これが日本に流入すると、少々話が変わってきます。日本では、三寒四温が冬の間ほとんど起こらないのです。
気候が違う→時期もズレた
実際の気候に当てはまらない言葉である以上、三寒四温が日本の冬場に使われなくなるのはある意味当然だったのかもしれません。
代わりに現れてきたのが、現在のように春先、つまり2月下旬頃に使うやり方です。
この場合直接的には「春先の周期的な気温の変化」、転じて、「そうした気温の変化を繰り返しつつも徐々に春めいてくる様子」といった意味合いです。日本ではこの時期、高気圧と低気圧が変わりばんこにやってきて、気温の上げ下げが周期的に繰り返される傾向にあります。
「周期的な気温の変化」の部分は変化していないのですが、季節だけが変わったわけです。春先にたまたま似たような気候の傾向があったために、時期がずれたという感じですね。
なお、いつからこうした使われ方になったかは不明ですが、川端康成の名作『舞姫』の作中には、
三寒四温の温に向いたか、近ごろになく、小春日和になりそうな~
という一節があります。この時期には、読者もこれを読んで、普通に春っぽい言葉と認識できる程度には一般化していたということでしょうか。
言葉は生き物、を端的に表す、日本での三寒四温の使われ方
ということで現在の日本では、「三寒四温」は普通に2月下旬頃に使われる言葉となっています。
特に手紙など、時候の挨拶として使う場合はこの時期の言葉として定着しており、文例集などでも三寒四温はほぼ確実に2月の欄に載っています。
もちろん、言葉の元々の意味からすれば誤用ということになるのですが、少なくとも日本国内で使う限りにおいては、2月下旬頃という認識で問題ありません。むしろ、本来の意味である冬場に使ってしまうと、かえって意味が通じなくなるでしょう。言葉は生き物と言いますが、それを体現する典型例と言えます。
俳句の季語に使う場合だけは例外
ただし、例外として、俳句では現在でもはっきり冬の季語です。
まれに春先の意味で使う方もいるようですが、俳句における季語の定義は厳密なものです。それがある以上、俳人としてはうかつに使うわけにもいきません。
ただ、そうはいっても、現実の言葉の使われ方との間にギャップが存在するため、季語としてそもそも使いづらい言葉になっているであろうことは想像に難くありません。
そのためか、最近の俳句では使われること自体が少なくなってきているそうです。
冬の季語は三寒四温以外にもいくらでもあるわけで、無理してまで使わなくても…といったところでしょうか。
「三寒四温」の対義語はあるのか
なお、これは付け加えになりますが、春先の2月に「三寒四温」という言葉が使われている以上、半年後の秋向けの対義語があるんじゃないか?と思われるかもしれません。
結論から言えば、三寒四温に関しては、厳密な意味での対義語は存在しません。これは、単純に、三寒四温と対となる気象現象が存在しないためです。もっとも、他に風流な季語や挨拶の仕方などはいくらでもあるので、無理に似たような表現を探す必要はないでしょう。
現状に即して使う、三寒四温の手紙での表現法
手紙での使い方の具体例としては、
「三寒四温の候、いかがお過ごしでしょうか」
あたりが一般的でしょう。
見ての通り、三寒四温はかなり固いイメージの表現です。そのため、使うとしたら目上の方でしょう。これまで述べたとおり、日本では春先に使うのが一般化しているため、時期的な面については特に気にせず使えます。
実際、時期の解釈はある程度幅があり、人によって1月下旬から使えるという方から3月までいけるという方までいますので、大まかにあてはまってさえいれば多くの場合、問題はないでしょう。
書き出す前に現実の気候を考える
ただ、ここで問題となるのが、三寒四温という言葉が節句などと違って特定の日や期間などを指す言葉ではなく、かなり限定された気候条件を指していることです。
繰り返しになりますが、三寒四温は現在の日本においては「寒くなったり暖かくなったりを繰り返しながら、それでも春に向かって徐々に暖かくなっていく」といったニュアンスで使われています。ということは、逆にこの条件に当てはまらないシーンで使っても、かえって違和感を生む結果になりかねないのです。
たとえばですが、2月下旬あたりで時期的にはぴったりだったとしても、ひたすら寒いばかりでまったく暖かくなる兆しがない…といったタイミングで使ってしまうと、「あれ?」と思う方も一定数いるでしょう。人によっては、「テンプレな文章だなあ」という風に思われる恐れもあります。礼儀に気を使ったつもりが、かえって逆効果になりかねない、ということです。
三寒四温という言葉を使うのであれば、まず前提として、それに見合った気候なのかは十分考えてからの方が無難でしょう。その点では、かなり使いどころが難しいということになります。
どうしても「三寒四温」に迷うなら代用してしまうのも手
さらにいえば、相手が言葉の語源にうるさい方だった場合、三寒四温の「時期がハッキリしていない」という特性は、使う側にとってはかなり厄介です。
もちろん、大半の方は、いかにうるさがただったとしても、挨拶されていちいちそこに突っ込むような無粋な真似はしないでしょう。
ただ、実際の反応はともかく、相手が言葉の定義にうるさいとわかっている以上、使う側としては、本当に使っていいのか不安にならざるを得ません。特に三寒四温は、前述のとおり目上の方に使うことが多くなりがちなためなおさらです。
その場合は、俳句と同じように、代用できる言葉で逃げておくのも手です。
この時期ですと、
向春の候、春寒の候、余寒の候
などが一般的です。前2つについては、「もう少しで春めいてきます」といったイメージも持たせられるので、代用にはうってつけだと思いますよ。
「三寒四温」は生み出す効果を熟慮してから使おう!
ここまで述べてきたように、「三寒四温」という言葉は、元の意味との変化も含めて、非常に使いどころに困る面があります。そのため、無理に使うくらいなら、別の言葉で置き換えてしまった方が、かえって自然な形になるでしょう。
これは三寒四温に限ったことではありませんが、この手の言葉というのは本質的にはあくまでも「雰囲気の演出」です。言い方を変えれば、演出の方法論(=特定の単語そのもの)にこだわっても意味はない。むしろ考えるべきは「その演出(=単語)は今使うのにふさわしいのか」だけです。
逆に言えば、気候条件などにうまくハマれば、「三寒四温」は他のありふれた言葉以上に、相手に豊かなイメージを与えてくれる演出になりえるでしょう。どうせ使うなら、そういう効果を十分に発揮できるよう、考えて使っていきたいですね。