虫たちを通して描かれる、一流の社会批評『働かないアリに意義がある』

年齢を重ねてきて初めて見えてくるおかしみ、楽しみというものがある。
たとえばだが、動物の行動の面白みなんかは最たるものじゃないだろうか。
もちろん、ライオンのような派手派手しい動物のたけだけしさなんかは、子供の頃でも十分目を惹く。
だけど、当然ながら動物だって、四六時中人間の目を楽しませるような派手な行動ばかりをしているわけじゃない。
だらけもするし、派手さとは無縁の絵にならない行動だってする。そんな、意外と地味な行動の裏というのは、大人にならないとなかなかわからない。
そういう地味な行動というのは、じっくり見てみるとどこか人間くさい。
人間に引き寄せて考えるのもそれはそれで彼らに失礼なのだけれど、大人の目からすると、そういういかにも行動は、妙に共感を覚えるものだ。

さて、そうした地味な動物たちの生態の中には、一見無駄にしか思えないものもある。
ただ、そういう行動が、動物たちの世界では重要だったりするのだからわからないものだ。
ここで紹介する『働かないアリに意義がある』は、そんな動物たちの中でも、虫という極小の世界の住人たちの一見無駄っぽい生態に焦点を合わせたものだ。

本書は真社会性生物であるアリやハチに的を絞った生物学エッセイなのだけれど、その特徴は、テーマが「社会維持」にあること。
タイトルにある「働かないアリ」を最初の切り口として、人間の目から見ると無駄にしか思えないような行動にどんな効果があるのかをひも解いていく。

社会が成立しなければ、全体が存続できない。けれど個の利益も追求したい…そんな「社会」と「個人」の相互関係のままならなさを嫌というほど見せつけてくれる。
感情がないなどと軽く扱われがちな彼らだけれど、そこには人間視点から見てもギリギリのラインでの繊細な駆け引きを思わせるものがあり、お前らも苦労してんだな、と思わせられることしきりだ。

構成の特徴としては、人間の社会との他比がかなり目立つことが挙げられる。
実際、本書で解説される事例は、姿形もサイズ的にも人間とはかけ離れた虫たちの事にも関わらず、妙に人間の世界、それも仕事社会との共通性を感じさせるものばかりなのだ。
タイトルの働かないアリの存在意義にはじまり、一見臆病にも見える「逃げる」という行為にも一種会社の部署単位での仕事の回し方にも通じるものがある(もちろん、適用できるかは会社の状況によるだろうが…)。
また、働きすぎるアリほど現実として死にやすいといういわば過労死の事実などは、自分の身に照らすと怖くなってくる人も少なくないだろう。
そんな中での彼らの日々の営みは、世知辛く、おかしく、けれど働いている身であるかぎり、ぐっとくることは間違いない。
それくらい、人間に引き寄せて考えさせられる作りになっている。

一点人間と違うとすれば、彼ら虫たちの場合、そうした営みがそのまま生死に直結するということ。
それだけに、彼らの日々の駆け引きのシビアさやえげつなさは人間のそれとはくらべものにならない。

特に、他種への寄生を生活の糧とする生物の行動などは、人間に置き換えて考えてみるとほとんどホラー。
こうした彼らは、人間社会でいえばフリーライダー(この言い方、嫌いなんだけどねえ…。やむを得ない人もいるし、仕事をしていても会社そのものが社会にむしろ害しかもたらさないようなケースもあるからキリがないし)に相当する。
ただ、こうした生物たちの行動は、人間の「ただ乗り」どころの話ではなく、実際の情景を想像すると背筋が寒くなるほどだ。

一方で、奇声することに特化しすぎて自分ではまともにエサを食うことさえできなくなり、寄生した相手に一から十まで頼らざるをえない、笑っていいのか何なのか迷う様な残念な種も登場し、このあたりはかなり滑稽。
さらに言えば、こうした連中が一定以上になると、当然生産性が落ちすぎて全滅してしまう。ただ我欲にかまけていてはアウトというのを明確に示しており、シニカルな寓話を思わせる。
けれど、そんな連中までひっくるめて、地域全体としては均衡が維持されているところに、自然というものの包容力・逞しさを感じる。

こうした内容を通して、本書は現在の人間社会の傾向に対しても疑義を発する。
虫たちの生態から提示されるのは、短期的にガツガツいく、効率性のみで世の中回っているわけではないという厳然たる事実だ。
効率性を否定はしないけれど、それだけでは済まないという事実に、我々人間の社会は目を背けてしまっているのではないか。
そんな問題意識が、ひしひしと伝わってくる。
軽くて温和なノリのエッセイではあるけれど、社会批評としてチクリと一滴の毒を含ませた一冊だ。

それだけに、ある種の人にとっては癒しになるかもしれない。
派手な才能がない、ただただ地道に生きていくことしかできない。そんな劣等感を持っている人
そんな市井の一般人に対して、本書は突出していなくても、一見目立たなくても役割を果たし続けるという地味な営みの重みを、垣間見せてくれるのだ。
エッセイだけに著者の主観もかなり強く出た内容だけれど、該当するなら救われた気持ちになることだろう。

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