他人とのコミュニケーションというのは、それぞれの立ち位置や主張、言い方などによって快感も不快感も伴う複雑なものです。
ただ、それ以前の問題として、コミュニケーションそのものが成立するための大前提があります。
それは双方が相手に「伝える」意思があることです。
どんなにマトモそうに見える人でも、頭の中の思考は錯綜しているもので、
脈絡なんてまるでないものです。
仮にその思考をそのまま言語化したとしたら、他人にはまったく理解できないでしょう。
それでも会話が成り立つのは、
いわば思考回路を他人にも理解できるようアレンジしているからにほかなりません。
そして、このアレンジのための前提となるのが、「伝えよう」とする意思です。
他人の存在を意識し、その相手に理解しうる伝え方をするというのは無意識の働きが大きいですが、
その無意識にしても、まず伝えようとする意思がなければ働かないものだからです。
この仕組みがなければ、たとえ一見会話を交わしているように見えても、
その実態は会話とは程遠いものになってしまうでしょう。
この場合にかわされる内容は、快不快以前に、
お互いの言っていることがまったく理解できない、ただのノイズです。
そして、以上の理屈に沿って言うと、『ムーンライトシンドローム』(ヒューマン)は
まさにこのノイズの吹き溜まりです。
『ムーンライトシンドローム』作品概要とその評価
メーカー公式認定の黒歴史っぷり
現在グラスホッパー・マニファクチュアを率いる須田剛一氏が、
ヒューマン在籍末期に制作した『ムーンライトシンドローム』は、
名作と言われる『トワイライトシンドローム』の続編としてリリースされながら、
クソゲーの名をほしいままにした悪名とどろく一品です。
今となっては公式でさえ続編としては扱っていないありさまで、
その悪評ぶりはいわばメーカー公認。
そもそも須田剛一氏の作品は当時から極端にアクが強いものがほとんどで、
熱狂的ファンか、そうでなければ一刀両断するユーザーに
綺麗に二分される傾向にあります。
ですが、本作に関しては、須田氏の熱狂的ファンでさえも
クソゲーと認めざるを得なかったという点で、
悪い意味で評価の偏りがありません。
『ムーンライトシンドローム』仕様概要
ここで作品の概要を簡単に紹介しておきます。
ジャンル的にはホラーアドベンチャーで、「雛代学園」とその周辺の街で起こる奇怪な出来事に焦点を当てたものです。
全10章に及ぶショートストーリーを連ねた形の連作方式で、
ストーリーそのものは完全な一本道です。
ただ、よくあるビジュアルノベルなどと違い、
フィールドマップが設定されており、
実際にキャラを歩かせて各スポットを巡らせ、
イベントごとに会話シーンに遷移するスタイルとなっています。
メインキャラクターは主役の岸井ミカをはじめ、前作からそのまま続投。
ただ、純粋なホラー作品だった前作と違って、
本作はサイコホラーを標ぼうしており、
このジャンルの他の作品がそうであるように、ストーリーは
人間の精神の暗部、つまり汚い部分にフォーカスしたものになっています。
『ムーンライトシンドローム』の設定周りのクソゲー要素
概要はこのくらいにして、なぜこのゲームがクソゲーとされているか。
その理由は、残念ながらいくらでも思いつきます。
何しろ、ゲームのシステム面からストーリーまで、ことごとくが「楽しむ」ということから程遠いのですから。
まず、ゲームシステム面ですが、フィールドマップ形式にしては操作性が(おそらく意図的に)著しくトロい上、
同じ場所を何度も行き来する必要がある、フラグが立たない限り何度も同じことを繰り返さないといけない、
などなどの要素が重なってひたすらテンポが悪い。
次に、キャラクターへの感情移入度の低さ。
もっと言うと、好感度の低さです。
ひたすら不快感を催すキャラばかり。
作品の性質上、キャラクターの性格の描写はイベントシーンごとに発されるセリフが全てになるのですが、
これがとことんネガティブかついわゆる「電波」なものばかり。
やればやるほどイライラさせられます。
そして、この不快感は、悪役やサブキャラだけではなく、メインキャラも同様なのです。
言い換えると、前作である『トワイライトシンドローム』から続投したキャラも、
サイコホラーという内容に沿ったせいか、各キャラクターは同一人物とは思えないほど嫌な方向にネジくれたキャラクターになっているのです。
一言で言うと、主役をはじめとしてメインキャラのほとんどがとことん性格が悪いのです。半端なく。
前作に思い入れがあればあるほど嫌気がさすことは間違いありません。
アドベンチャーゲームとして盛り上がりの無さは致命的
それでいて、ストーリーとしての盛り上がりが薄い。
ホラーとして言い換えれば、怖さが弱いのです。
先述のキャラクターの好感度の低さなどは、
サイコホラーというジャンルを考えれば、珍しい話ではありません。
むしろ、その気色悪さこそがジャンルの魅力なのですから、
それだけなら単にユーザーの好悪の問題です。
ですが、だからこそサイコホラーは「駄作になりやすい」ジャンルでもある。
不快感が強い分、シナリオを成立させようとすると、むしろ他のジャンル以上に
緻密な設計が必要になります。
そこが弱ければ、そもそもエンターテインメントとして成立しなくなってしまう。
ですが、本作はまさにその悪い例です。
確かに、ストーリー上の山場は存在しますが、
なにしろそこに至るまでの構成が、ただでさえ理解困難なキャラクター達の行動と、
ひたすら不快なセリフの応酬の積み重ねだけ。
しかも、連作形式なのが災いして話がブツ切りという状態で、です。
当然ユーザーは感情面で置いてけぼりで、結果として山場が山場として機能していない。
「何かすげえことになってんなあ」と
ぼんやり画面を眺める程度になってしまうのです。
さらにいうなら、須田氏作品の特徴である、
描写を敢えて控えてユーザーの解釈にゆだねる面が強いという面もそれに拍車をかけています。
氏のファンでさえ評価をためらう本作ですが、
それは、本作の描写不足は、いくらなんでも度を越えているからです。
それでも異色作として名を残す理由とは
断絶どころか最初から成立していないコミュニケーション
ここまででも十分なのですが、
それ以上に本作が今に至るまでクソゲーとして、そして異色作としてその名を残している最大の理由は、別にあります。
それこそが、最初にも述べた、
「コミュニケーションがコミュニケーションとして成立していない」…
キャラクター全員において「何かを他人に伝えようとする意志が感じられないこと」です。
前述の通り、本作のキャラクターは性格最悪、行動も理解不能な連中ばかりですが、
それだけならまだしも、セリフの一つ一つが完全に自己完結。
憑かれたように語り続けるキャラクターたちは、
言ってみればそれぞれの思考をそのまま垂れ流しているだけなのです。
さらに、衒学的な横文字や専門用語が多用されているため、一般人にはそもそも何をいっているのかさえわかりません。
字面こそ日本語ですが、実態は知らない外国語を目の前で話されているようなものです。
もちろん、美術や前衛芸能全般で、
理解が難しい作品はいくらでもあります。
それに、ゲームだけに限っても、メッセージが明確でない作品、不条理さを売りにした作品は
少数派ながら存在しますし、必ずしも評価が低いわけでもありません。
ですが、こうした作品と違い、
本作はホラーアドベンチャーゲーム、それも体裁としては「会話劇」です。
このスタイルを取る限り、いかに自己完結的でも最低限、ユーザーに伝えるべきラインはあります。
そうしたジャンルの特性を無視して、完全に理解不能な域にまで達してしまったこと。
本作の最大の問題点はここにあります。
他者存在が喪失した世界という、唯一無二のシミュレーション
ただし、同時にこの点こそが『ムーンライトシンドローム』の異様さを際立たせ、
今に至るまで話題に上る作品にせしめる原動力となっていることだけは事実です。
本作は一言で言ってしまうと「会話劇として成り立っていない会話劇」。
普通は、わざわざこんな作品を作ろうとは思いません。結果が見えているからです。
ですが、本作はそれを敢えてやった。
その結果、他の作品では決してみられない
「他者への視線が完全に欠落したコミュニケーションがどのようなものか」
のシミュレーションのような体になっているのです。
これは、通常、サイコホラーに限らず、精神をテーマとした作品全般を見ても、
あまり見られないシチュエーションです。
なぜなら、(例外があるとはいえ)人は基本的に他人に自分の存在を認めてほしい生き物だからです。
どんなに極端な自己中心的な人間であっても、
また、伝え方の得手不得手や程度の差はあるとはいえ、
わざわざ「自分から」他者の存在を切り捨て、伝えること自体を放棄するというのは、まずみられません。
そんなことをしても、本人にまったくメリットがないのですから。
だから、本作で繰り広げられることは、
一見世の汚さをリアルに描写したようにみえても、
実はありていの作品以上にファンタジーな世界なのです。
けれど、それだけに描きえた世界であるのは確か。
完全なディスコミュニケーションという世界で織りなされる異質感は、
黎明期の無機質なカクカクポリゴンと合わせて、
本作にしかない強烈な冷たさを放射しています。
90年代末期の空気を反映したアングラアートとして
…とまあ、色々語ってきましたが、
何を言っても、「面白くない」というのは事実。
それどころか、人によっては、悪趣味という感想しか残らないでしょう。
当時はエヴァンゲリオンの第一作やジャンクカルチャーの隆盛などが背景にあり、
ネガティブなもの、敢えて汚い面や悪趣味さを強調したジャンクカルチャーがもてはやされていた時期に当たります。
そうした時代背景に多大な影響を受けただろうことは間違いありませんが、
本作の場合は少々やり過ぎ。
これが文学作品ならまだしも、ゲームというエンタメ主体のメディアの作品としては、
その枠を完全に逸脱してしまっています。
だから「エンタメ」としてみるのはおすすめしません。
もし今プレイしてみるなら、ゲームやホラーという見方をするのではなく、
最初から90年代の空気感を残したアングラアートとして割り切って挑んだ方がいいかも。
その前提なら意外とオツな味わいかもしれません…極端に人を選ぶことは間違いありませんが。