昭和初期の怪奇小説というのは、他では見られない独特の味を持っている。
これは怪奇というジャンルに限ったことではないけれど、当時の小説には独特の圧迫感というか重苦しさがあり、そこに苦手意識を持っている方も多いんじゃないだろうか。
ただ、怪奇もの、特に短編だと、それを前提としたうえで「いかに魅せるか」を試行錯誤した感があり、妙に洒落ていたり、リズミカルだったりする。
それでいて、娯楽であることに自覚的であるがゆえに、きわめてストレートだ。
この辺りは、パターン化するか難解だったり、単に悪趣味な方向に行きがちな昨今のホラー小説ではなかなか出せない、クラシックな味わいだと言っていいと思う。
ストレートな「昭和初期の怪奇小説」 瀬下耽『柘榴病』のあらすじ
瀬下耽の短編『柘榴病』も、そうしたこの時代の怪奇小説ならではの味わいを存分に内包した作品だ。
たまたまある島に漂着した船の船員たちが、謎の病気によって島民が全滅しているのを発見する。
本作は、その最後の住民が記した遺書を、発見者のひとりである船長が口述で物語るという形式をとっている。
出だしこそ地の文で始まるものの、本編部分は丸々、船長の語りという構成だ。
展開そのものはいたってシンプルだ。
主人公、つまり最後の死者は島唯一の医者だ。彼は致命的な伝染病の発生をきっかけに、自分だけがこの島を救えるということに気づく。
そこで医者本来の使命である救うという方向に行っていればよかったのだけれど、彼はここでよからぬことを思いついてしまう。
自分だけがこの島全体の島民の命運を握っているというのなら…立ち回りようによっては、この島全体を支配することもできるのではないか。
この島全体の富を、夫婦で独占することもできるのではないか。
けれど、その悪計には、思いもよらぬ落とし穴が潜んでいた―――
作品冒頭で示される結末でわかるように、本作は古典的な勧善懲悪ものに近い。
欲に負け、非道に手を染めたエリートが、それゆえに無残に転落していく様子は、筋そのものはいたって単純で、ひねりも何もない。
本作の魅力は、そんな一見単純な筋を、ひたすら抒情的に、かつスピード感たっぷりに描き出したことにある。
突出した語り口のうまさと美しさ
もともと遺書の内容を船長が語るという設定のこの物語だけれど、文体的にはあまり口述という感じはしない。
実際の文章が地の文とあまり印象の変化がないためだ。
ただ、それ自体はあまり本作の質には関係ない。
語り口が、ひたすらうまいのだ。
もともと物語というのは筋そのものよりも、語り手の力量によって印象がいかようにも変わる部分が大きい。
その点でいうと、本作は完璧。
びっくりするほど説得力を持って、破滅に向かっていく島の様子と、登場人物の心情がスラスラと頭に流れ込んでくる。
文体のテンポが極端に良いこともあるけれど、それ以上に陰惨な題材をロマンチックにさえ見せる表現力が段違いなのだ。
終盤、とうとう一人になってしまった主人公が死の島の中一人で舞う様は、簡潔に表現されているにも関わらず、目の前に浮かぶようなビジュアル的な訴求力を持っている。
作者である瀬下氏が耽美主義に傾倒していたこともあってか、陰惨な題材でありながら、本作は終始一貫して美しい。
ロマンチックでさえある。
流れるように流麗に語られる本作は、怖いという類のものではない。もちろん、言うまでもなく教訓めいたものでもない。
ただ、一瞬で読み終えてしまうだろう本作は、その流麗さと行間から浮かんでくるビジュアルイメージだけに、まさに「文章で読める悪夢」そのものだ。
冷静に考えたら醜悪極まりない情景のイメージが矢継ぎ早に読者の脳みそに投下されていく体験は、なかなか珍しい読書の時間をもたらしてくれることだろう。