ガリ勉という単語には、どうやってもネガティブなイメージが付きまといます。
勉強を真面目にやっている奴がバカにされるのは間違ってる!というのは確かに正論なのですが、正論はどこまで行っても正論。
現実には何の意味もありません。
受験生時代、まさにその典型例だったわたしが言うんですから間違いない。
ことに、ガリ勉であることによる負の影響の中でも、もっとも目立つのがモテないことでしょう。
これは、あらゆる要素を鑑みても残念ながら現実です。
モテたいと思うなら、「ガリ勉」であることにはデメリットしかありません。
ただし、です。ごく限られた一時期の話ですが、ガリ勉であることが異性にとって問題でなくなる、どころかむしろ注目を集める要因になる可能性のあるシチュエーションが存在します。
今まさにガリ勉をしているであろう方の励みになればということで、当時の体験談を記しておきたいと思います。経験者からの忠告も併せて。
わたしは「最底辺のガリ勉」だった
先にわたし自身が当時どのような奴だったかを述べておきましょう。
子供の頃、わたしは成績だけはよかったものの、人間関係は壊滅的。
幸いなことに集中的にいじめられたりはなかった(ただし、バカにされたり小突かれたり程度は日常茶飯事)ものの、スクールカースト的には最下層に限りなく近い立ち位置でした。
しかも、勉強以外のことについては、あらゆることが水準以下。クラス活動や体育をはじめとして、他の子たちはやすやすとこなすようなことでさえ、当時のわたしは何もできませんでした。しかも、そういうことに限ってみんな楽しそうなんだよな…正直、わたしにとっては何が楽しいのかさえ分かりませんでしたし、そのことがなおさら自分と周囲との壁のように感じていました。
コンプレックスはひしひしと感じていましたが、どうすればいいのかもわかりません。
そんなわたしですから、女の子にモテるわけもありません。
数少ない男友達のつてで顔見知りになった女の子がいただけでもまだ僥倖でしたが、その子にしたってあくまでその男友達ありき。
それどころか、その女の子は接点があるというだけでも例外中の例外で、クラスの大多数の女の子には敬遠されていました。
自分でもその点はもう、諦めていました。
なにしろ、女の子たちの反応を見ていても、今後自分がモテる可能性がまったく見いだせない。
体育祭のフォークダンスで、女の子たちがわたしの前に限ってまるで誰もいないかのように素通りしていったと言えば、どれほど問題外な存在だったかはお分かりいただけるでしょう。
ガリ勉といってもピンからキリまでいますが、その中でも限りなく「キリ」の方に位置する立場だったということです。
大学はこのままいけば多分受かるだろう。現役は無理でも、一浪すればおそらく余裕だ。
けど、たとえ受験は上手くいったとしても、少なくとも女の子と仲良く喋れるような日は、俺にはおそらく来ないんだろう…
既に割り切ってはいたものの、それは我ながら絶望的な考えでした。
ガリ勉のわたしがなぜかスポットライトを浴びた日
ところが、そんな私が、まさにその自分の唯一と言っていい武器である成績で注目を集める日がやってきました。
それは、一浪して予備校通いをすることになった、最初の試験でのことです。
浪人したとはいえ、さんざ勉強していただけあって、さすがに試験の成績はよかった。
廊下に張り出された成績表を見て、わたしは自分なりに満足していました。
異変が起こったのは、その次の日でした。
当時放り込まれていたクラスの中でも、「かわいいなあ」と内心思っていた女の子がいきなり話しかけてきたのです。
顔こそ知っていたものの、マトモな会話を交わしたことなどもちろん一度もないのに。
「ねえねえ、テストすごかったね!」
「え?あ…あ、うん…」
嬉しいというより、動転したというのが正直な所でした。
何が起こったんだ。
言葉が出てきません。
全身に、それこそ噴き出すように汗がでてきました。
実を言うと、軽く気分が悪くなったほどです。
そんなわたしの様子に気づきもせず、その女の子は言い放ちました。
「ねえ、良かったらなんだけど、10分時間貰えないかな」
「…へ?」
「わたし、今回の問題、まだよくわかんないところあって。ちょっとでいいから、教えてもらえないかな?」
…ありえない。けど。
ポカーンとしながらも、わたしは手を握りしめました。
今思えば、ガリ勉な上に教える準備をしていたわけでもありません。
だから、そのときのわたしの教え方ははなはだ要領を得なかったと思います。だいたい、口が上手く回りませんでしたし(苦笑)。
それでも、なんとか理解はしてもらえて、その女の子はお礼をいって去っていきました。
わたしは相変わらずポカーンとしたまま、その後ろ姿を見送ったものです。
一生に一度クラスの貴重な体験だったのではないかと思いながら。
ただ、本当に驚いたのはこれで終わりではなかったことです。
次の日も、その次の日も、続けざまに違う女の子からお声がかかったのです。
わたしは何が起こったのかわからないまま、相変わらずたどたどしく教え続けました。
それを3か月も繰り返したでしょうか。気が付いたらわたしの予備校の知り合いは、半分くらいが女の子という、高校時代からしたら想像もできない、驚くべき状況になってしまったのです。
ガリ勉でもモテる、「勉強第一」という特殊な環境
…まあ、これをきっかけに最終的に彼女ができてましたとかならちょっとしたサクセスストーリーなんですが、わたしの場合さすがにそこまではいきませんでした。
度胸がなさすぎましたし、なんせガリ勉です。そこまで気を回す余裕はありませんでした。
それに、当時のわたしからすれば、女の子から話かけてもらえるというだけでも十分満足だったんです。
それにしても、なんでいきなりあんなことになったのか。
今思うと、それは予備校という場の特殊性もあるでしょう。
高校までと違って、予備校は名目上は「学校」ではあっても、勉強だけがすべてという場所です。
高校までだとモテる奴というのは運動部だったり、体育が得意な奴だったりですが、逆に予備校ではそれらの要素は全く役に立ちません。言い方を変えれば、高校まではさほど評価軸として重要でない「勉強ができる」ということのウェイトが非常に重くなるのです。
たとえそれが、ガリ勉特有の詰め込み学習の結果であったとしても、それは変わりません。
だからこそ、高校においては、というより、単純に一人の異性としてお世辞にも魅力的とは言い難い当時のわたしのような人間にも、スポットを浴びる余地があったのでしょう。
もちろん、こんなちやほや状態は長続きはしませんでした。
それでも、それまで圧倒的な壁があった女の子たちへの距離感は、あっさり消し飛んでしまったんですから大したものです。
予備校の1年間は、圧倒的に驚くべき体験として今に至るまで自分の思い出となっています。
言うまでもないですが、こういうことが誰にでも起こるとは保証できません。たまたまかもしれませんし。
ただ、そういう可能性があるというだけでも、多少は心理的にラクになるのではないでしょうか?
あと、予備校の環境を前提としてここまで書いてきましたが、現役時代でも勉強がメインになるような進学校の高校なら、それに近い環境にはあるのではないかと思います。
警告、ガリ勉から早く卒業した方がいい理由
ただ、最後に。
今まさにガリ勉であると自覚している方へ、ひとつだけ警告しておきます。
今は仕方がないですが、受験が終わったら早々にガリ勉という立場から抜け出すことを考えるべきです。たとえ受験時代に先に述べたようなモテ期がきたとしても、です。
これは、無理に大学デビューしてはっちゃけろという意味ではありません。また、ガリ勉としてやってきたその頑張りを否定する気も毛頭ありません。
そうではなく、「頑張り方」をなんとか変えられないかを模索すべきという事です。
というのは、ガリ勉スタイルの方法論が通用するのは、よくて大学までだからです。
予備校や大学といった、勉強が重きを置かれた場所では、ガリ勉というスタイルを通したとしてもそれなりの意味があります。ところが、その先に来る一般企業などのビジネスの世界、そして、そこでの人間関係は、ガリ勉的なやり方になれているとマイナスに働くことの方が圧倒的に多いためです。
ガリ勉であることで失うモノ
何故ガリ勉は社会人の世界に置いて不利なのか。これは、逆に受験期以前の学校でなぜガリ勉という言われ方がマイナスの意味を持つかを考えてみれば見えてきます。学校というひとつの社会において、ガリ勉であることには「成績が上がる」以外のメリットは見事なくらいに何もない。
教師に褒められることこそ他の生徒よりも多くなる傾向がありますが、それだけです。
それどころか、この唯一の美点さえも、「いい子ぶりやがって」の一言の前に粉砕されます。
もちろん、モテないこともその延長線上にあるわけですが、ではなぜそうなるのか。
それは、結局のところ、ガリ勉というスタイルが「勉強以外の全てを切り捨てているから」に他なりません。そして、受験という特殊な要素を抜いて考えれば、ひとつの社会の中で、これはただの「欠落」をしか意味しません。
交友関係がせまくなりますからどうやっても人付き合いは下手になってしまう。
人付き合いが狭くなると、当然経験の幅も少なくなってしまう。
さらに、頼みの勉強にしても、ガリ勉スタイルでの勉強というのは結局力押しに過ぎません。
言い方を変えれば、このやり方を続ける限り、いかに要領よくやるかといった視点はすっぽり抜けたままになってしまうのです。
学生のうちはそれでもなんとかなりますが、これを社会人になっても続けるとどうなるか。
お分かりかと思いますが、よほどの幸運に恵まれない限り、ロクなことにはなりません。
人付き合いのよさ・豊富な経験・そして要領のよさ。
ガリ勉スタイルとはおよそ相いれないこれらは、しかし実社会でのビジネス、そして人間関係をうまくわたっていく上での必須要素だからです。…言うまでもなく、モテるかモテないかという一大問題も含めて。
繰り返しますが、マジメに勉強すること、それ自体は別に間違いでもなんでもありません。
ただ、受験という、ある意味で人生において不自然な関門を抜けたら、それ以外の自分の可能性を探ってみてほしい。
今のスタイルは、あくまで「受験に受かるため」だけの期間限定のスタイルだと肝に銘じてほしい。
大学卒業後、散々後悔するハメになった身として、敢えて書き記しておきたいと思います。(K.Y)