ただの嘘では終わらない?自己啓発的に見た引き寄せの法則の本質

自己啓発書という奴には、純粋なテクニック系のものが多いけれど、一方で精神論的なものもかなりの割合を占める。
その度合いが一定を超えて、なかばオカルト的な領域に足を踏み込んでいるものも少なくない。
信じるか信じないかという側面が強いという点では、自己啓発書とオカルト本の差は紙一重ということなのかもしれない。

そうした背景もあってか、街の本屋に出向くと、自己啓発本のコーナーに本来オカルト書の棚に置かれた方がしっくりくるような一冊が普通に紛れ込んでいる。
そんな中でも、自己啓発と特に食い合わせがいいオカルトのジャンルが「引き寄せの法則」だ。

先ほどからオカルトと連呼していることからもお分かりのとおり、わたしはこの「引き寄せの法則」自体はまるで信じていない。
ただ、全否定はしない。

というのは、この法則、考え方の面で、迷信と切り捨てるには惜しい一面を持っているのだ。
自己啓発的にみても、一定の価値を認めざるを得ない考え方。

今日語るのは、そんな「引き寄せの法則」の意外な側面の話だ。

 

神頼みと変わらない?引き寄せの法則の概略

引き寄せの法則とはどのようなものなのか

まず最初に、引き寄せの法則とは一般的に言ってどのようなものかを押さえておく。
とはいっても、概略だけであれば、一言だけで済んでしまう。

手にしたい理想の未来を、既に手にしたつもりで日々をすごせ。

そうすれば、その願いは勝手に引き寄せられ、現実になる

まとめてしまえば、引き寄せの法則とはこれ以上でも以下でもない。

 

もう少し補足するなら、引き寄せの法則は宇宙自体が「その人間が放っている波動に合ったものを実現する」性質を持っているという考えに乗っ取っている。
そして、その波動というのは、本人の思考の方向性に沿って放出されるものとされる。
つまり願いを信じ込むところまで行けば、それを引き寄せるための波動が自然と放出され、それをキャッチした宇宙の働きにより、願望実現に至る…と、こういう流れなのだ。

ここで重要なのは、この波動の実現にあたって、プラス・マイナスの区別はないということ。
本人にとって素晴らしいことでも、絶対に避けたいようなことでも、それに沿った波動が出ている限りは宇宙は一切事情を考慮することなく、実現してしまう。

だから、マイナス、悲観的な思い込みは捨て、むしろプラスの未来だけを信じこめ。

引き寄せの法則には様々な手法があるけれど、根っこの部分は以上の内容で概ね一致している。

未来をどうやって信じ込むかが手法の肝

ここまででお分かりの通り、引き寄せの法則という奴は根本的にネガティブな人間にはあわない。というか、よっぽどポジティブな人間でない限り、ここまでプラスだけを信じ込むことは難しいだろう。
まして「理想の未来を既に手に入れた」ところまで信じるとなると、難関どころの話ではない。

だからこそ、その心理状態を実現するためにどうすればいいか、というのが各手法の腕の見せ所であり、ウリになっているわけだ。
中には、ネガティブな人に特化した手法も存在している。

主旨だけを見れば引き寄せの法則は迷信そのもの

もっとも、細かい手法はともかく、この主旨だけをみれば、どう見たって迷信以外の何物でもない。
いくらその気になろうと願いが叶わなかったことくらい、誰でも一度は経験があるだろう。
その点でいえば、オカルトなどというよりも神頼みに近い。
ただ、対象が宇宙に変わっただけだ。

それに、迷信めいたものを全否定する気はないけれど、「引き寄せの法則」の場合、目標が「成功」などのなまなましいものなだけに、余計にタチが悪い。
なまじ手に入った気になって目標に対する努力をしなくなれば、むしろ願望実現は遠のいてしまうのでは…と、少なくともわたしは思うのだけれど。

 

一概に否定できない、引き寄せの法則の「考え方」

オカルト部分を取り除くと残る、単純明快な本質

さて、ボロクソに書いてきたのだけれど、それでもわたしが引き寄せの法則を切って捨てられないのは、先にも言ったようにその根本的な考え方にある。

ここまで見てきたように、引き寄せの法則において、オカルト的なのは「願望が必ず実現される」という、「結果」の部分だ。
では、その部分を敢えて除外して、その過程における考え方だけをみてみる。
その場合、この法則の言わんとするところはなにか。

そう、要は

「悲観的になるな。斜に構えず、夢を信じてポジティブに明るく生きましょう」

という、それだけの話なのだ。
昔のことわざに例えるなら、「笑う門には福来る」そのもの。
願望実現という生々しい部分があるからこそオカルトなわけだけれど、根っこの部分は拍子抜けするほど単純明快なのだ。
こちらの方が毒気を抜かれる。

実際、引き寄せの法則を扱った書籍の中には、むしろ法則そのものよりも、明るく生きるという、その姿勢の方を重要視するものさえある。
ここまでくると、一種の生き方指南に他ならない。

成功のためのプラス要因なのは事実

そして、自己啓発的な意味合いで見た場合、この姿勢は(実現するかはさておいて)明らかに成功のためにはプラス要因なのも事実なのだ。

明るく生きていられるということは、気力は充実するし、やる気も出るし、周囲からも好反応が得られる。そんな環境にあれば、自然と頭の回転だってよくなるだろうし、いろんなことをやってみようという行動力も出てくる。

一方、暗く悲観的でドンヨリ生きていると、気力は萎えるしやる気も起きないし、周囲の反応も悪くなる。
それに、ネガティブさの最悪なところは、自分の行動に無意識に制約をかけやすくなることだ。
「わたしなんて…」と自分からチャンスを手放すこともたびたびになってくる。本人の中でも、それが自然になってくるのだ。

どちらの生き方の方が成功の確率が高いかは考えるまでもないだろう。

さらにいえば、多くの自己啓発テクニックというのは、読み手が気力に満ち溢れていることを前提として書かれている。やる気がない状態では何の役にも立たないのだ。

つまり、引き寄せの法則が提唱する「明るく生きろ」という教えは、自己啓発的には「当然」レベルの前提であり、土台なのだ。

引き寄せの法則は心がけとして使いやすい

結局、引き寄せの法則がうさん臭いのは「必ず願望実現」と言い切ってしまっていることであって、単なる確率的な話と捉えれば、日常的に見かけるありふれた話に過ぎない。

そして、そういうありふれた話だからこそ、変な自己啓発テクニックよりもわかりやすい。
なにしろ、「明るく生きな」という一言なんだから、深い理屈もへったくれもない。
それだけに、波動云々は抜きにしても、ひとつの心がけとして考えれば悪くない。
心の隅に置いておくだけで、日々の過ごし方もかなり変わってくるはずだ。

 

深入り厳禁、引き寄せの法則を上手に「利用」せよ

なお、念のため書いておくが、深入りは決してお勧めしない

なにしろこの手のセミナーやコミュニティは、とかく妄信的になりやすい。
特に引き寄せの法則は「信じ込む」ことに主眼が置かれているため、なおさらだ。
あくまでも心がけとして頭の片隅に置いておく程度なら悪くない、という話であるというのはあらかじめお断りしておく。

 

正直、マインドフルネスなどもそうだが、こうした心がけ系のネタがここまで話題になってしまう世の中というのは、決していい時代とは思わない。

もちろん、その点でいうと、引き寄せの法則だって同様だ。「明るく生きるべき」という、本来当然のことが一種のオカルトチックな語り口に変換されてしまう時点でどうかと思う。

ただ、そこを承知したうえで割り切ってみる分には、引き寄せの法則のシンプルな考え方には一定の価値がある。
一定の距離を保ちつつ、自らの明るい人生のためにうまく「利用」してほしい。

タイトルとURLをコピーしました