金田一耕助シリーズと言えばやはりそのおどろおどろしい雰囲気が思い浮かぶけれど、そんな中でも書き出しのインパクトの強さでいえば、トップクラスに来るのが『悪魔が来りて笛を吹く』だと思う。
なにしろ、冒頭から作者による地の文で「読む者の心を明るくする要素がひとつもないから本音では書きたくない」と言い切られるのだから。
元々陰惨な物語が軒を連ねるこのシリーズで敢えてここまで書くとなると、いったいどんなものだろうかと思わずにはいられない。
人間関係重視のサスペンス劇 横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』
内容は、零落した旧華族階級、椿家で起こる連続殺人事件を描いたもの。
現実の事件である帝銀事件の要素を取り入れており、その容疑者の一人として疑われたフルート奏者・椿元子爵が失踪するところを端緒にした、重苦しい家系の内実が描かれ出していく。
タイトルの『悪魔を来りて笛を吹く』は、その椿元子爵が失踪直前に残したレコードのタイトルであり、お察しの通り、本作を通してのキーアイテムともなっている。
海外の古典ミステリなどでもよくみかける貴族階級の家系ものと同様、本作も上品な、けれどどこか取り澄ました冷たい雰囲気が漂うのが特徴。
この雰囲気もあって、「ゴシック・ミステリ」という言葉がシリーズの中でもしっくり馴染みやすい作品になっている。
基本的にトリックの奇抜さよりも人間関係に重きを置かれた話の流れになっている。
ホラー要素以上に際立つ陰鬱さ
金田一耕助に関して言うと、原作以上に市川崑監督の映画版の印象が強い方も多いだろう。
正直に言えば、筆者もその一人だ。特に忘れられないのが、『悪魔の手毬唄』で謎の老婆とすれ違うシーン。
相当昔なので映像としてはハッキリとは思い出せないにもかかわらず、幻想的かつ不気味な雰囲気だけはいまだに脳裏にこびりついている。
このシーンなどに象徴されるように、金田一ものの特徴といえばやはりホラー性の高い舞台設定が第一にくるだろう。
だからこそ、映画のようなヴィジュアル的な要素の強いメディアとの相性がよかったともいえる。
で、この『悪魔が来りて笛を吹く』なのだけれど、その観点から言うと金田一ものとしてはホラー的な雰囲気は薄い。
事件の舞台が東京ということもあって土着的な要素は皆無だし、この作家の特徴でもある殺され方にしても、多少のギミックこそ凝らされているもののむしろおとなしい部類。
金田一耕助の関わり方そのものもあくまで職業探偵としてのそれなので、多少距離がある。
刑事と連れ立っての捜査シーンにかなりの尺が割かれていることもあって、むしろ警察小説的なスリリングさの方が強くでている。
そのため、おどろおどろしい出だしやタイトルとは裏腹に、他の作品に見られるような得体のしれない不気味さを感じることはほぼない。
ただし、ホラー性が薄い代わりに、話そのものの陰鬱さはすさまじい。
もっとも、陰鬱さの正体については、ネタバレそのものになってしまうのでここでは明かさない。
ただ、事件の真相自体はともかく、序盤からどういう結末になるのかはおおよそ見当がつくはずだ。
「終わってしまった」家庭で繰り広げられる、トドメの崩壊劇
庶民の常識などまったく通用しないことが明らかな、旧華族の屋敷。
3つの家族と使用人が同居するその屋敷は、あからさまに反発しあう人々の冷たさと、根本的に歯車のズレたよどみに満ちている。
その雰囲気からして、マトモな話になるはずがないというのが序盤から明確なのだ。
もしかしたら、なんとかなったんじゃないか…金田一耕助の物語というのは、基本この悲しみが根底に流れているのが常だ。
どこかボタンを掛け違ったために、こんなことになってしまったんじゃないか、という。
けれど、本作に限っては、それはない。
たとえ何かの偶然で多少の展開が生じていたと仮定しても、幸せな結末には至らなかっただろうというのが文章の端々から実感できる。
これは、完全に「終わってしまった」家庭の物語なのだ。もともと崩壊していた家庭が、最後にトドメとばかりに木っ端みじんに粉砕されるまでの過程。
ゾッとはしないがドンヨリ加減は屈指
小説の性質上、うわべをなぞっただけだけれど、本作は金田一の中でも「ゾッとする」類の作品ではない。
というか、内容としては前口上として述べられている言葉そのもの。
「真っ黒すぎてどんよりと心が重くなる」類の作品だ。
なまじ他の作品を見た後だとホラー的な煽り文句として受け取ってしまいがちだけれど、先入観なしで字面だけを追えば、最初からそれは明確に宣言されている。
それだけに、好みは正直、他の横溝作品が好きな方の中でもハッキリわかれるだろう。
ただ、このシリーズに共通するように、キャラの個性の立ち方は本作でも健在。
もっとも内容が内容なので不快感の方が強いキャラクターがほとんどを占めるが、その代わり「まだマトモなキャラクター」の魅力がその分引き出されている。
特に蠱惑的ながらどこか悟った菊枝(妾)や、極端な怖がりながらも地に脚のついた素朴さを見せるお種(使用人)など、女性キャラクターの性格付けは秀逸で、ひたすら重苦しい物語に華を添えている。