『死神くん』ドラマ化 泣ける原作をざっくり解説

「隠れた名作」「泣ける」といった評価で、地味ながらファンの間で根強い人気をもつコミックが『死神くん』です。2014年の4月にはテレビドラマとしても放映されました。

この記事では、当時のドラマについても触れつつ、今でも高く評価されている原作についてざっくりですが解説します。

絵は誰がやっても実写再現不可能

まず、放映されたドラマのデータは下記の通りです。

放送:テレビ朝日系24局ネット(テレ朝ではナイトドラマ枠)
原作:えんどコイチ(代表作:『ついでにとんちんかん』)
主演:大野智(嵐)
監督:中田秀夫(代表作:『リング』)
脚本:橋本裕志(代表作:『ショムニ』)

パッとみても、かなり豪華なメンツだったと言ってよいでしょう。

さて、本作に限らず、漫画のドラマ化で心配なことの1つが、キャラクターイメージが原作とかけ離れてしまうことです。漫画を実写にするという時点で、どんなにうまくやったところである程度は崩れるのですが、本作については、その点では最初からそもそも気にする方が間違っています。

何しろ、原作の絵柄がいわゆる「昭和のギャグマンガ」の典型。しかもえんど氏の絵柄は、その中でも限界までシンプルに、かつポップに、といった面を突き詰めた雰囲気であり、いわゆる「リアルさ」はハナから重視していません。そんな作品をドラマ化する以上、絵づら的には誰がやっても同じです。あの絵柄の雰囲気を再現できる人間なんて存在しません。

このドラマは、そういう面では非常にいい形でのドラマ化だったと言えるでしょう。キャライメージなどはもちろんできる範囲で頑張っているのですが、それ以上にストーリーが原作の味を良く取り込んでいるのがポイント。視聴者に「これでよかったのか…」と結末への戸惑いを覚えさせるとともに、だからこそ心を動かされる絶妙さです。

テレビというメディアの性質上、ある程度死神くんたちの性格がわかりやすくアレンジされている面はあるものの、テイストの面での原作再現度は非常に高いと言えるでしょう。原作である漫画版「死神くん」の魅力は、まさにこの、温かさと毒が同居する居心地の悪いバランスにあるのですから。

『死神くん』の主役は人間たち

ここで、原作の『死神くん』に話を移しますが、上で書いたような独特の雰囲気を持つ死神ものです。
一言で言ってしまうと、新人死神が一話完結で業務を遂行していくという話です。

えんど氏の絵柄もあって、一見すると「死神もの」としては異例の明るさがあるのですが、根本的な部分の設定まわりを見てみると、意外なほどジャンルの伝統に忠実です。

まず、本作でいう死神の業務とは、死期が近い人間にはそれを知らせ、一方で本来の死期以外での死亡を阻止すること。そして、死神ものの作品のお約束通り、死神は宣告や説得こそ行うものの、原則としては見守るだけ。

あくまでも、死神は「命の終わりを告げる」立場ではあって、それ以上でもそれ以下でもないのです。「積極的に命を奪う」ことはしませんが、かといって「情をかけて命を救う」といったお涙ちょうだいな立場ではもちろんない。そもそも、そんな権限は彼らにはない。極端な言い方になりますが、余命宣告をするときの医者のようなものです。

この構図は死神ものでは一種のパターンともいえるもので、死神や悪魔もただ、その役割を全うする以上のことはできないのです。少年誌掲載作品という性質もあってか、本作では死神くんやライバルである悪魔くんが、心情面で人間への情を持ち合わせているというアレンジこそなされていますが、「直接手を出せない」という点だけは徹底されています。

つまり、ほとんどの話でメインとなるのは、死に関わる人間たちなのです。彼らが死に向かい合った時にどう動いたか。多くの「死神もの」と同じく、本作の肝はあくまでもここにあります。

感動ものではあるけれど、実は極限の物語

もっとも、少年マンガということもあってか、話の展開はかなり暖かめなものが多いです。平たく言えば、相当泣けます。「死神が人情に篤い」という設定自体はそれほど珍しいわけでもありませんが、ここまで正面切った「感動もの」に仕立て上げた作品は珍しいのではないでしょうか。

ただし、泣けるとは言っても、単に感動して泣くといった作品ではありません。どうにもモヤモヤした気分で泣くと言う方がピッタリ来ます。少なくとも、単純にハートウォーミングな作品というわけでは断じてありません。

なにしろ、題材が死です。それも、「死ぬかどうかわからない」ではなく「絶対に死にます」という前提での。神様のお墨付きでそんなことを言われたら、正気ではいられない方が普通でしょう。

実際、「死ぬ」という大前提があった上での人間たちの行動は、読んでいてかなり苦々しいものがあり、決して後味がいいものではありません。そう言う意味では、本作は単なる人情ものなどではありません。本人にしてみれば、まさに極限状態のドラマに他ならないのです。

また、そうした要素は抜きにしても、感動ものにありがちな性善説で塗り固められたようなキャラクターばかりがでてくるわけでもなく、本気で嫌悪感しか抱けないような連中も登場します。

さらに言うと、この作品には「他人が代わりに犠牲になれば、代わりに生き延びることが可能」というルールがあるのですが、これが曲者。ただでさえ重い題材が、輪をかけてややこしいことになっています。本人が意図したわけでもないのに、結果的に親族や友人の命と引き換えに生き延びることになった者や、逆に相手の存在を捨てきれずに自身の死を受け入れる者など、なんとも苦々しいドラマが展開されます。

暖かさゆえの後味の悪さが『死神くん』の魅力

それでいて、話自体は暖かく締められることが多いだけに、なおさら後味が悪いとも言えます。死神たちの存在を別にすれば、極めて日常的な題材が多いだけになおさら。

ですが、このなんとも言いようのない苦み走った後味こそが、『死神くん』を際立った作品にしているポイントです。

本作の特異な点は、通常、死神ものがある程度生と死の価値を相対化した、シニカルな目線になりがち(これ自体はジャンルの特性上、仕方がないと思います)なのに対して、愚直なまでに「生きることの価値」を歌い上げる内容になっていることです。その視点があるからこそ各話の(形の上では)暖かい結末が成立するのですが、だからこそ一話一話がズシン、ズシンと心に響いてきます。

荒んだ展開にしようと思えばいくらでもできそうな題材にも関わらず、敢えてこうした展開にまとめたことで、余計に重々しく後を引く。作者であるえんどコイチ氏が意図したのかどうかはわかりませんが、結果的に、「心が温まるにも関わらず、トラウマのように残る」という矛盾した、けれど他に類例のない読後感につながっています。その点、ドラマ化の際に公式で「ブラックファンタジー」を謳ったテレ朝は分かってるなぁと思います。

好き嫌いは分かれるが今の時代には貴重な作風

ここまで手放しで絶賛してしまいましたが、実際のところ、「感動もの」の特性として、どうやってもある程度説教臭さが前面にでてしまっているという欠点はあります。価値観の問題になってしまいますが、特に本作はテーマもテーマですし、好き嫌いは読者によってきっぱりわかれてしまうでしょう。

ただ、ここまで本質的な部分に捻りを加えない感動ものというのは、今の時代には貴重だとも思うのです。好き嫌いはともかく、その存在はもっと世に知られていいのではないでしょうか。死神という設定ゆえのドライさと、直球の人情が同居した奇妙な味わいをぜひ楽しんでみてはいかがでしょうか。

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