『ミノタウロスの皿』に見る相互理解の困難さ

自分と価値観の違う人の考えていることを理解する。
口でいうと簡単だけれど、これほど難しいこともそうそうない。
なんせ、自分にとっての価値観なんて、そうそう変わるもんじゃない。
いくら他人の言うことが正しかろうが説得力があろうが、あんまり関係ない。
自分にとっての正誤判断が、結局は勝ってしまうことが大半で。

だから、一見周りとうまくいっているような関係であっても、それは「触れるとヤバい部分」を単に無視して、許容できる範囲を見極めて付き合っているのが実際のところだと思う。
他人の価値観と直に向き合ってしまった場合、ほとんどの人間は、多分耐えきれない。

だからこそ、それをあからさまに可視化してしまうネットは荒れる。
よく言われるけれど、それによるストレスフルさ加減は、ネットが一般的になってからの十数年が生み出した明らかな罪の部分だろう(特にSNSや掲示板関係)。
そんな環境下でわかることは「人は自分に都合のいい主張しかしない」こと。
程度と方向性は様々だけれど、何かしらの形で自分にとって利益なり快感なりをもたらすことにしか、人は賛同できないという事だ。
本能的な部分もあるだろうから仕方ないんだけれど、人間も所詮ケダモノ、っていうのを思い知らせてくれてかなりやな気持ちにはなりますわな。
…ブログやってる以上、私も人の事言えた立場ではないけれど。

藤子・F・不二雄のSF第一作『ミノタウロスの皿』あらすじ

さて、藤子・F・不二雄氏にも、こうした「イキモノとしての人間のさもしさ・悲しさ」を描き出した作品は多いですが、そんな中でも代表的と言えるのが「ミノタウロスの皿」ではないでしょうか。
SF作品としては第一作目で、藤子F氏は生前、自分にもこんな作品が書けたということに驚くとともに新たな遊び道具を見つけたような気分だったと語っています。
その点では藤子漫画の歴史を語る上でも外せない一作なのですが、作品そのもののインパクト自体も強烈です。

宇宙飛行中に遭難し、とある惑星に漂着した主人公。
そこは、地球と同じように文明がありました。
救われた主人公は、助けが来るまでの間、その星で暮らすことになります。

ただ、地球と違っていたのは、人類と家畜の外見と立場が逆だったこと。
人間の姿をしてるのが、地球でいうところの家畜。
牛の姿をしているのが、地球でいうところの人類。

…そして、彼を最初に助けてくれた少女は、その家畜の中でも、食用種(しかも最高級クラス)だったのです…
少女に好感を抱いていた主人公は、彼女を「救おう」と奔走するのですが…

異文化の儀式があぶり出す人間の絶望的ご都合主義

という、設定からして相当えげつない一品ですが、むしろ設定のインパクト以上に、主人公の行動の整合の取れなさぶりが本作の白眉です。
作中随所に挿入される彼の独白はひとつひとつが徹底的に彼自身にとってのブーメランになってるんですよね。
相手の無理解を説きながら、彼自身に相手の価値観を理解する気がまるでない。
完全に自分の価値観を絶対視するその姿は、一見するとともかく、第三者としての読者の目から冷静に見ると、滑稽そのものなんですよ。
それが最大限に発揮されるのが、落ちの一コマ。シンプルながら、それまでの彼の言動と照らし合わせてみると思わず「う…」と思ってしまう事必至です。

このようにそのものずばり「異なる文化間の相互理解不全」作品として語られる本作ですが、読後の印象としては、そんな高尚なもんじゃない。
まさに、「自分に都合のいいことしか言ってねえな、こいつ」という印象が直截的に伝わってくる、シニカルさが強烈です。
作者である藤子Fさんが、「どうせ人間こんなもの」という諦めを含んだ皮肉として書かれたのか、それとも純粋な警鐘の意味で書かれたのかは、今となってはわかりませんが、少なくとも人間の世界がなかなかうまくいかない理由を、これ以上端的に示した話はそうそうないでしょう。
第一作としてののろしを上げるにふさわしい完成度と言えます。
…読後の印象は、そんな威勢のいいもんじゃないですけどね。

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