『サンプルAとB』シェークスピアの古典をSFに?宇宙人が人間にみたもの

子供の頃、確か投稿系の文集か何かだったと思うんですけど、あれから数十年たっても印象に残っている文章があります。
内容はゴキブリの視点での人間観察。もちろん子供の文章だから視点も素朴だし、語り口も捻りのないストレートな文明批評です。
でも、その分わかりやすかった。人間のやってることを純粋に不思議がるゴキブリの姿は、子供心にも日頃自分がやってる生活が滑稽に見えてくるだけの威力があったんです。
視点を変えることでここまで世界が違って見えるのか、と。
こうした視点の転換というのが、創作においてのメジャーな手法の一つだと知ったのは後年のことですが、それに慣れ親しんだ今でもあのゴキブリの小品は、私の中でこういう世界の見方と愉しみがあるということを教えてくれた恩人的なな存在になっています。

感情全振りの演劇を敢えて理系視点で見ることの違和感

さて、それはさておき、こうした視点の転換の名手の一人が、ほかならぬ藤子・F・不二雄先生です。実際に氏の作品では、テーマのメイン・サブを問わずこうしたモチーフがが手を変え品を変え用いられています。
その中でも、他の作品とは大きく異なった切り口と手法で描かれた作品が、「宇宙人レポート サンプルAとB」です。

この作品、まず制作体制からして異色です。藤子F氏はシナリオのみで、作画は小森麻美氏が担当。
小森氏は70年代にのちの名だたるメンツが参加していた同人誌「墨汁三滴」のメンバーだった方で、その後プロ漫画家として少女漫画・レディースコミックなどを手掛けたのち、現在は大阪芸術大学・キャラクター造形学科で准教授も勤めています。
ちなみに同学部の教員陣は里中満智子、池上遼一、日野日出志と、アングラからメジャーまで昔からのマンガ好きならビビって卒倒しそうなメンツ。どんな授業なのか受けてみたいものです。
話がそれましたが、小森氏の絵柄は古き良き時代の少女漫画そのもの。
それだけにF氏の作品を見慣れていると相当のギャップがあるものの、その違いが普段とは違った形でF氏のセンスを引き立たせています。

では、そこで描かれるF氏のシナリオとはどんなものなのかというと、これもかなり実験的で、なんとシナリオ自体はほぼそのまんま「ロミオとジュリエット」なのです。

古典的名作『ロミオとジュリエット』のあらすじ

「ロミオとジュリエット」についてはご存知の方も多いでしょう。シェークスピアによる演劇の古典的名作です。

14世紀当時、イタリアのヴェローナでは、教皇派と皇帝派という2つの派閥に分裂した支配層同士が抗争を繰り広げる荒んだ社会でした。
そんな中、皇帝派のモンタギュー家の一人息子であるロミオは、よりによって敵対派閥である教皇派のキャピュレット家の一人娘・ジュリエットと恋に落ちてしまいます。
ほどなく二人は修道僧ロレンスのもと結婚しますが、周囲はそんな事情は知ったことではありません。
街でキュビレット家の集団に絡まれたあげくに親友・マキューシオを殺害されたことでロミオは我を失い、キャピュレット夫人の甥を殺害してしまいます。
追放の罪を申し渡されたロミオと、強制的に別の男をあてがわれるジュリエット。
ロレンスの発案で、ジュリエットは仮死の毒を服用することで監視の目を逃れ、ロミオとともに逃げることを計画します。
ですが、この計画はロミオには詳しく伝わっておらず、ロミオは本当にジュリエットが死んだ思い込んでしまいます。
結果、ロミオはジュリエットの墓前で本物の毒薬を飲み、仮死状態から目覚めたジュリエットも短剣で後を追ってしまう…という筋。

環境に翻弄される恋人たちという時代に左右されないテーマを題材にしているだけに、その後今日に至るまで、恋愛作品の基礎となった作品と言っていいでしょう。

『サンプルAとB』の独自要素!視点の変化が生み出す滑稽さ

さて、シナリオ自体がまんまといいましたが、それだけではただの原作の漫画化。藤子F氏が脚本としてクレジットされる意味がありません。
当然、手が加えられているのですが、それが何かというと、語りの視点。
人間同士の物語だった原作と違い、「サンプルAとB」の語り手はなんと宇宙人なのです。

この宇宙人、あくまで未知の惑星に住む未知の生物を観察する、という目的で来訪しているだけに、二人への思い入れもへったくれもありません。
その上、人間を「炭素系生物」ということから、そもそも身体の仕組みが人間とは全く違うようで、人間にとってはごく当たり前の感情表現も、彼にとってはただの身体反応にしか映りません。
その結果、上品ながら感情むき出しだった原作(恋愛作品ならそれが当然です)が、ただひたすら冷静な生物レポートに変貌しています。
それこそ、理系の実験で、実験動物の反応を見守るかのような。

逆に言えばそれだけの、アイデア一発勝負のような作品なんですが、「視点をズラすだけ」でここまで見える世界が違うものかと驚くはず。
出会いの興奮をただ「心拍音や瞳孔の変化」としかとらえられない宇宙人の解釈のズレっぷりは笑いを誘いますが、それと同時に感情移入がないだけでここまで見える世界がまったく変わってくるものなのかと。
当人たちは必死な恋愛や抗争も、利害関係のない第三者からみればただ滑稽にしか映らないことを如実に思い知らせてくれます。
なまじ物語の流れが原作ほぼそのままなだけに、それが余計に際立つ。
もちろん、作者側は意図的にこういう構成にしたんでしょうけれど、それが薄々わかっていても圧倒されます。

藤子F氏による思考実験?余韻あるラストに何を読み取るか

さて、原作そのままなシナリオである本作ですが、唯一ストーリーを変更されているのがラスト。
あえて変更の内容には触れませんが、不思議な余韻を残す結末になっています。
無常観に満ちていながら、それでもそこになお可能性を見出だそうとするかのような、宇宙人による淡々としたモノローグ。
そこに人間の感情の可能性を見るか、限界をみるかは、読み手の価値観次第でかなり異なるでしょう。
ある意味では、このラストは読者に対する思考実験ということもできます。

ただ、いずれにせよあえて結論を出さなかった宇宙人に、主役であるロミオとジュリエット以上に感情移入したくなるはず。
お前、わかってるなあ、と肩を叩いてやりたくなります。
炭素系生物でないという彼らにそんなものがあるかは疑問ですが。

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